旧・田辺三菱製薬の“解体”さらに?5100億円で買収した米PEファンドが「名門の切り売り」を急ぐワケPhoto:医薬経済社
*本記事は医薬経済ONLINEからの転載です。

 田辺ファーマなる新社名を聞いた時、不覚にも想起したのが昭和の銀幕スター・小林旭のヒット曲『昔の名前で出ています』の歌詞だった。京都と神戸のネオン街をそれぞれ異なる源氏名で渡り歩いた夜の蝶が、妙齢を過ぎ、傷付き舞い戻った横浜の酒場で、最初の夜職で名乗った「ひろみ」の名をボトルに刻み、別れた昔の男の来訪をじっと待つ――そんな一途な女心が“アキラ節”に乗せて歌われた。

 国内最古の製薬企業であり、日本で最初に「洋薬」の取り扱いを始めた田辺製薬は、周知の通り07年の三菱グループ入りを機に田辺三菱製薬へと改称し、20年には三菱ケミカルの完全子会社とされて上場廃止になった。このまま財閥系名門化学の庇護の下で安泰と考えたのも続かず、25年2月に母屋の経営危機を受けて、米プライベートエクイティ(PE)ファンドのベインキャピタルにおよそ5100億円で身売りと相成った。

 しかし残念かな、波乱はそれでも終わらず、同年12月に冒頭触れた少々座りが悪い新社名を付与された挙句、今度は後生大事に守り育てた筋萎縮性側索硬化症(ALS)等の治療薬を手掛けるエダラボン事業を、約3900億円を対価として塩野義製薬に差し出すという急展開を迎えた。

 01年に業界を短期間だけ沸かした大正製薬との経営統合構想は、今から思えば成就しなかったのが双方にとってハッピーなディールであった。だがその後、三菱や外資に翻弄され続けた姿を目の当たりにすると、「田辺はマゾなのか」と突っ込みたくなる思いとともに、些かながら憐憫の情も禁じ得ない。某巨大掲示板には「旧家の箱入りお嬢様が、最後は売り飛ばされた感がある」と例えられていたが、言い得て妙だろう。大阪・道修町でも指折りの名門であった田辺は、大間のマグロのように今後も細かく切り刻まれていくのであろうか。

 06年に日本に進出して以降、昨年までに累計で8兆円に近い対日投資を重ねてきているベインは、買収した田辺については当初、「独立した企業として、メディカルイノベーションの伝統をさらに発展させながら(中略)、創薬活動の生産性向上、商業化、戦略的買収を通じて、新たな成長機会を開拓していく」と語っていた。これを額面通りに受け取れば、ベインが国内外に持つ多様なヘルスケアのビジネスシーズを田辺に注ぎ込んで、喫緊の課題であるパテントクリフの克服に手当てを施したうえで、創薬力強化への投資とM&Aや提携を通じた外部成長、そして非上場という立場を活かした抜本的な経営改革といった攻めの動きを示すのだろうと想像された。