ビル群の合間で江戸時代の道修町の雰囲気を今に伝える北垣薬品本館 Photo:PIXTA
今やすっかり東京に拠点を置く「東」の製薬会社が業界の中心だが、一昔前の製薬業界は「西」すなわち、大阪・道修町(どしょうまち)の製薬会社にも勢いがあった。連載『製薬フロンティア』内の特集『道修町×大阪製薬』の最終回では、道修町を源流とする大手製薬の“新旧序列”を解き明かす。(ダイヤモンド編集部 土本匡孝)
故・原雄次郎氏も見てきた
タケダの変遷、道修町の変化
2025年、武田薬品工業の創業家筋であり、同社OBでもある原雄次郎氏が90年余りの生涯を閉じた。
原氏は10年代半ばから、論客として業界内では知られた存在だった。武田薬品のクリストフ・ウェバー社長CEO(最高経営責任者)ら外国人中心の経営陣が進める急激な構造改革や、大型M&A(企業の合併・買収)について定時株主総会などの場で公然と批判し、武田薬品を憂う著書も2冊上梓していたからだ(『大丈夫か 武田薬品』〈ソリック、兄と共著〉、『武田薬品M&A戦略 失敗の検証』〈さくら舎〉)。
原氏が生まれた1930年は、まだ武田薬品が前身の武田長兵衛商店だった頃だ。当時の経営トップは5代目の武田長兵衛。この「タケチョウさん」は大阪のくすりのまち・道修町で最も発言力のある人物だったと伝わる。なお、74年には創業家の親戚である小西新兵衛氏(原氏の叔父)が社長に就いている。
時は移ろい、2000年以降の武田薬品は、他社が国内勢同士の合併に動く中、米ミレニアム、スイス・ナイコメッドなど、海外企業の買収に活路を求めた。極め付きは19年のアイルランド・シャイアーの買収で、その額はなんと約6兆円。一時は国内合併勢に売上高で肉薄されたこともあったが、次々と繰り出した買収で突き放し、国内業界で売上高トップの座を堅持し続けている。
また、道修町発の他の製薬会社5社、すなわち田辺製薬(現田辺ファーマ)、塩野義製薬、藤沢薬品工業(現アステラス製薬)、大日本製薬(現住友ファーマ)、小野薬品工業も、合併や大型製品の特許切れなど、時代の荒波に翻弄されてきたのは同じだ。
次ページでは、新旧時代別の「序列」を振り返る。







