このように、26年度の予算案では負担軽減策も盛り込まれ、長期療養や低所得の患者に配慮する内容に見直されている。25年度の予算案が財源確保ありきで療養の実態を無視し、数字合わせに走っていたのに比べると、今回は患者の意見も取り入れられており、自己負担限度額の引き上げも抑制的だ。
だが、前述のように、高所得層では医療費が100万円かかっても高額療養費が適用されず、3割負担を強いられる人も出てくる。今後は、「高額療養費があるから、医療費が高額になっても誰でも少ない負担で医療を受けられる」とは必ずしも言えない社会になりそうだ。
増加する医療費を賄うために
患者負担は益々増える可能性も
今回の制度改正では、高額療養費の自己負担限度額の引き上げの他に、OTC類似薬の保険外し、70歳以上の高齢者の窓口負担の見直しなど、患者の負担増につながる改革項目が羅列されている。
厚生労働省の「医療費の動向」よると、24年度の日本の概算医療費は約48兆円。高額な医薬品の登場や医療技術の進歩によって国民医療費は年々増加しており、40年度には67兆~70兆円程度になることが見込まれている(内閣官房・内閣府・財務僧・厚生労働省「2040年を見据えた社会保障の将来見通し(議論の素材)」より)。
医療費は今後も増加し続けることが予想されているが、財務省の『令和8年度社会保障関係予算のポイント』では、社会保障制度改革の推進のために「現役世代の保険料率の上昇を止め、引き下げていくことを目指すとの方針に基づき、経済・物価動向等に適切に対応しつつ、医療・介護を中心とした社会保障制度改革を着実に実行する」と記載されている。
つまり、医療費は増加しても保険料収入は増やさないというのが国の方針だ。保険料を増やさないのなら、増え続ける医療費を賄う財源は患者の自己負担額に求めざるを得なくなる。今回の高額療養費の自己負担限度額の引き上げ幅は抑制されたものの、今後はさらに引き上げられる可能性も否定できないのだ。
だが、そもそも「保険」とは、日頃から加入者全員が保険料を負担し、保険事故に遭った時には必要な給付を受けられるという仕組みで成り立っている。公的な医療保険では、病気やケガをした時に必要な給付を受けるために、加入者は保険料を負担している。
それなのに、いざ病気やケガをした時にも大きな自己負担を求められるのは、保険の原則に反しているし、加入する意味も半減してしまう。
増え続ける医療費を賄うための財源は必要だが、その負担を病気やケガをした患者に転嫁するという手法は、社会保障政策として正しいものなのか。私たち国民も、今一度立ち止まって負担のあり方を考えるべきではないだろうか。







