最初に「宛先」を表示するために、非言語的な表象が与えられる。そして、自分がこのメッセージの「宛先」だと信じたものがメッセージを受け取る。たぶん、ここが前-言語的なものが言語に転換する根源的な経験だと思うんです。「宛先が自分だと考える」ことが非言語的なレベルから言語的なレベルに「ジャンプ」することの始点だと思うんです。前-哲学的な経験が哲学に変わってゆく。
難しい本がだんだん
読めるようになったきっかけ
『日本人が立ち返る場所』(養老孟司、内田 樹、KADOKAWA)
内田:僕の場合、エマニュエル・レヴィナスの本を読み始めた頃は何を言ってるかさっぱりわからなかった。わからないままに読み進んでいくうちに、「この本は私を読者に想定している」ということが確信された。意味がわからないのにもかかわらず、この本の読者に想定されていることはわかった。
そういうところから始まるんだと思います。レヴィナスの本を読んでいるうちに「私の本が理解できる人間になれ」とレヴィナスが語りかけてくれているような気がしました。それがきっかけでレヴィナス研究に進みましたけれども、それは「レヴィナスの読み方をレヴィナスに習う」というようなプロセスでした。そうやってだんだん読めるようになってきました。40年かけて、おぼろげながらわかってきた。
「なるほどいいことを言っている、俺も同じ意見だ。だから、この人を研究しよう」じゃなくて、「この人、何を言っているか全くわからない。しかし私は想定読者に含まれている」という感覚なんです。この「想定読者として含まれている」感覚って、いわく言い難いんです。「自分はこの本に呼ばれた」という実感って、ほんとうに皮膚触覚的なものなんですよ。







