小さな成功体験の積み重ねが
変革の渦となる
メモレベルのアイデアを新事業として立ち上げるのは簡単ではありません。外部のコンサルタントなどの手も借りたのですか。
いえいえ、未曾有の経営危機でしたし、一円でも多く稼ぐという窮余の策としてスタートしましたから、外部リソースには頼らず、すべて自前でやりました。事務局が伴走しながら詳細な事業計画に落とし込み、関係部署との調整などを行いました。
とはいえ、社内公募で集めた事務局メンバーを含めてほぼ全員が事業開発は未経験、まさに素人でした。そのうえ時間もお金もない。最初に「予算はいっさいつけられない」と正直に宣言していましたが、社員たちはそれを物ともせず、クラウドファンディングで資金を調達したりしました。「予算はない。だけどおもろいアイデアを出せ」という私からの無理難題に対し、みんなが会社の状況を理解し、何度も壁にぶつかりながら知恵を絞り、諦めなかったことが実を結んだのでしょう。
「おもろいアイデアを持ってこい」という井上さんならではのユーモア精神と、「後はしっかり伴走してやる」という愛ある姿勢が、社員の心のセキュアベースとなり、自由な発想と挑戦につながったように思いますが、いかがでしょう。
自分が言い出したことならば最後まで責任を持って大きく成功するまでやり抜け、という厳しい考え方もあるでしょう。でも、実際にそこまで一人でできる心身ともにタフな人財がどれほどいるのかは疑問です。私はそれよりも、「普通の人が小さな成功体験を持つ」ことのほうが人財や組織の成長にとって大事だと思っています。伴走者のサポートを受けながら、でこぼこした変革の道中を最後まで完走することに意味があります。
ここで肝心なのは、間違っても伴走者がリードしないこと。発案者が自分の力で走り切るからよいのです。すると周りの社員も、「あの人ができるなら自分だって」という気になります。それで挑戦してみた結果、小さな成功を経験して自信がつく。そうなると今度は、日々の業務の中でも新たな気づきを得る力が高まり、改善や改革につながっていく。僕もできた私もできたという社員が増えれば、しめたもの。変革の渦が回り始めるのです。
具体的にどのような事業が生まれましたか。
提案総数3500件のうち、これまでに事業化されたのは約30件です。最大のヒット商品は御朱印帳です。東京・大田区の穴守稲荷神社を皮切りに、7つの神社仏閣とコラボレーションした御朱印帳が大人気となり、販売部数は累計約4万部に達しています。また、空港に駐機したままの飛行機を活用した機内レストランや結婚式、シートカバーをルームシューズなどにつくり変えたアップサイクル商品も好評をいただいていますし、整備工場の夜の飛行機撮影会なども実現しました。
極め付きは「飛行機の墓場ツアー」です。退役した飛行機が世界中から集まるロサンゼルスの空港を訪れ、ふだんは立ち入り禁止のエリアを見学したり、ANAの退役機から好きなパーツを選んで購入できるという、マニアには垂涎(すいぜん)の内容です。飛行機に書かれた機体番号から過去に乗ったことのある機体を見つけて、涙を流したお客様もいたと聞いています。単なる移動手段を超えた価値を提供していることをあらためて認識しました。
どれも簡単な思い付きから生まれた企画のように見えるかもしれませんが、そうではありません。ふだんからお客様の声に耳を傾け、行動をよく観察しながら、何が求められているのか考え抜いたからこそ実現したものばかりです。論理やデータ由来だけではなく、私たちの直感や感性も駆使してお客様のインサイトに寄り添い、ANAならではの価値を提供することの大切さに気づかなければ、けっして生まれなかった企画だと思います。
この「がっつり広場」から生まれた新事業の売上げは約10億円で、粗利率の平均は3割です。会社全体の規模を考えればけっして大きなインパクトがあるわけではありませんが、数字以上の価値があると思っています。それまで新事業の立ち上げに携わることはおろか、考えたこともなかった社員たちが、ゼロからイチを生み出して成功させた従業員体験の価値は計り知れません。むしろこの制度は人財育成と組織風土改革に大きなメリットがあると判断し、2025年に「がっつり広場」の仕組みと伴走支援の機能をそれまでのCX(営業)部門から人事部門へ移管し、組織名を「変革塾」と変えて人事部の直轄施策と位置付けました。社員一人ひとりの「おもろい」ことへの挑戦は、いまも続いています。



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