「糸結び」を3回失敗したら
第一助手を失格に...

「そろそろ『まかない』でも作ってみるか?」的に、教授の第一助手を務める機会が巡ってくることもある。

 第一助手は、手洗いをして術者の対面に立ち(なので「前立ち」と呼ばれる)、糸を縛ったり、周りの臓器を適切な力で引っ張ったりして滅私奉公的に手術をアシストする重要な任務だ。

 術野を最も近くで見られるし、先輩と直接コミュニケーションすることで手術の考え方や「コツ」を学ぶことができる。ただ、このステップアップのチャンスは、信頼を失う大ピンチにも逆転しうるのだ。

図・腹部手術を上から見たら同書より転載 拡大画像表示

 幕内先生は、自動で血管を止血して切ってくれる最新ディバイスには一切頼らなかった。つまり、肝臓を割りながら出現する血管は、すべからく助手が糸で縛らなくてはいけない。素早く、確実に、何十回も。指先だけようやく入るような深いところで、「糸よりも細い血管」を縛るように命ぜられることもある。

 おそらく、ひとつの進級試験なのだ。上手に結紮できれば、日頃の修練の成果を披露できる。次は術者になる大チャンスをもらえるかもしれない。

 しかし、結び目が緩ければ――当然血が出る。しっかり結ぼうと強く引っ張ると、こんどは糸が切れてしまう。3回連続で失敗したら、間違いなく「代われ!」と退場を命じられるだろう。二度と前立ちをさせてもらえないかもしれない。

 だから医局員は皆、白衣の裾やボタンホール、据え置き電話のコード(これ自体、今や歴史遺産になりつつあるが……)に糸を括り付けて必死に練習していた。

 今の価値観で振り返ると、当時の若手外科医の労働環境、教育環境は「ブラック」極まりない。