たとえば、比叡山延暦寺の鎮守神であった日吉大社では、同年4月朔日に武装した一隊が押し掛け、御神体となっていた仏像や仏具などを神殿から取り出して破壊し、それを焼き捨てた。各地では、そうした動きが相次いだ。
しかし、廃仏毀釈以上に寺院の存続に深刻なダメージを与えたのが、1871年と75年に出された「上知令」である。これは、神社や寺院が所有していた土地を、境内地を除いて没収するものであった。その代わりに、神社や寺院に対しては「社寺禄制」が定められ、扶持(ふち)米が支給された。けれどもそれは、10年と年限を区切られた上、しかもその量は毎年逓減されていった。
排斥を受ける仏教を尻目に
優遇措置をとられた神道
一方で、神道は「国家の宗祀」と位置づけられ、他の宗教とは区別されて宗教の枠からは外され、その存在が重要視された。その結果、主要な神社の経済基盤は国費や公費で賄われるようになり、官幣社の造営や式典などの費用は政府が支出することになった。神主も、官吏と同様に官費を支給されるようになる。それで神主は「神官」と呼ばれるようになったのだ。
これは、寺院にとって極めて深刻な事態となった。宗教施設というものは、神社であろうと寺院であろうと、本来、経済活動を行う場ではない。そのため、新たに寺社が創建された場合、同時に土地が寄進された。その土地を貸し出すなり、耕作するなどして入ってくる収入で宗教施設の維持運営がはかられてきた。
にもかかわらず、明治新政府は寺院から土地を奪ってしまったのだ。それは地租という形で税金を徴収するためで、とくに寺院の経済に深刻な打撃を与えた。
それまでの仏教は、朝廷や公家、武家、さらには一般庶民に支えられ、繁栄を謳歌(おうか)し、社会的にも重要な役割を果たしてきた。ところが、神仏分離によって、大きな打撃を受け、日本人の宗教世界の景色はその姿を大きく変えた。神仏習合という事態は、すっかり過去のものとなってしまったのである。







