何もかもが試行錯誤の途上だった。
私はその大部分を彼の仲間たちに託し、彼の残した千葉県南房総の農場「鴨川自然王国」だけは何としても引き継ぎたいと思った。
彼が1981年頃から続けてきたこの農場に、私は移り住まないことを決め、東京と鴨川の二元生活を彼に求めてきた。「奥さん」のいなかった暮らしの現場に足繁く通い、あとかたづけをし、床を拭きながら、私は何度もそこに突っ伏して泣いた。
彼がいるうちに、どうしてもっとここに来なかったのか?どうしてここの暮らしを、共に築こうとしなかったのか?
でもその時、ふと自分にいい聞かせた。
リレーの選手だって、走り終える時にしかバトンを渡さない。彼は走り終えて、私にバトンを渡したのだ。
今から走ればいい!一緒に走ることができなかった分、これからを走ればいい、と。
それからは、もう答えてくれない彼と、これまでにないくらい心の中で向き合う日々が始まった。
「あなたは土、私は風」なんて割り切って、りんごの半分しか私は生きていなかった。彼が引き受けていた半分を埋めるために、これまでとても無理、と思っていた、地球環境のことや、農業をめぐる問題、中山間地域の現状を目の前に奮闘することになった。
藤本との結婚を決めた日
愛用のギターが盗まれた
それからもうすぐ25年になろうとしている。
ゴスペラーズの村上さんとも深い縁が続いた。
でも、やっぱりその縁は普通じゃなかった!
その後、何度か「ゴスペラーズ」のコンサートのゲストで出演したり、サプライズで飛び込んだりしてたけど、あるコンサートのアンコールで出て行く前に、村上さんがひとりのファンの人から来た手紙を読んだのだ。
そこにはなんと驚くようなことが書いてあった。
「私の父がもっていたギターは、実は登紀子さんのもっていたギターだったんです。そのことを亡くなった父が死の直前に明かしてくれました。父はシンガー・ソング・ライターになりたかったけど、その夢は叶わず、建設会社で建築家として生きました。それでもそのギターを大事に弾いていました。私も大事にします」と。







