私はその手紙の朗読を聞きながら、もう泣きそうだった。

 村上さんは、そんなことは予想もしていなかったはず。そのギターには、すごい物語があるのだ。

 私が藤本と結婚を決めた日、そう1972年5月6日。普通なら親族でないと面会できない彼と、結婚予定者として中野刑務所での特別面会を許されて、看守の人の前の短い面会で結婚を誓った。私たちが結婚記念日にしてるくらい大事な日。

 その夜、私はこの結婚の承諾をお願いするために、当時の事務所の社長だった石井好子さん(編集部注/シャンソン歌手、エッセイスト、実業家)の自宅を訪ねた。内心は、この普通じゃない結婚に反対されるかもしれないと、ずっと悩んでいた。でも、「子供もできているので」と打ち明けると、石井さんは、全面的に応援してくれた。

「後のことは私に任せなさい。あなたはあなたの人生を大事にしてね。いい結婚生活を祈ってるわ」と。

 ホッとして、もう嬉しくて嬉しくて、飛び上がりそうな気分でお宅を出て、家の前に止めてあったマーク2に乗り込もうとした時、ビックリ?

 助手席に乗せていた私のギターが失くなっていたのだ。

 どうも助手席側の三角窓が開けられたらしい。「ひとり寝の子守唄」も「知床旅情」もそのマーティン21でうたってきた。

盗まれたギターが戻ってきた後年
さらなる「まさか」が待っていた

 すぐに高輪署に駆け込んで調べてもらったけど見つからず。まあ、あっさり諦めて、これも何か不思議な「お告げ」みたいなものかしら、なんて言っていたところ、しばらく時間がたって「登紀子さんのものらしいギターを持ってるやつがいるんだけど、連れて行ってもいいか?」と友人から連絡があって、1人のカッコいい若者が彼と訪ねてきた。

「シンガー・ソング・ライターを目指していて、質屋でこのギターを見つけて、貯めていたお金をはたいて買ったんです。でも登紀子さんのギターなら、お返しします」と彼がギターを差し出しながら言った。

 私はこう返した。

「それは間違いなく盗まれた私のギターだけど、あなたはそれをお小遣いで買ったわけだし、私に返す必要はないのよ。大事に使って、素敵なシンガー・ソング・ライターを目指してください」と、そのギターを彼に渡した。

 その時のギターが30年以上の時を経て、ゴスペラーズのファンの娘さんのところにあった??何と凄い物語。

『「まさか」の学校』書影「まさか」の学校』(加藤登紀子、時事通信社)

 藤本の死、そして結婚を決めた日。私の人生で最も大きな運命の分かれ道と村上てつやさんとがつながった。不思議な、としか呼べない「ま・さ・か」のご縁だ。

 私は村上さんにお願いして、そのファンの人と連絡をとった。「お父さんが弾いていてくださった、そのギターにもう一度だけ会いたい」と。

 彼女がもってきてくれたそのギターをそっと弾いてみると、とってもいい音になっていた。

 私はケースにギターを戻しながら言った。

「昔、私が弾いていた時よりずっといい音になってる。お父さんがきっと上手だったからだわね、ありがとう」と。