アウェイな職場で自分の居場所を見つけるまで
校長として学校に通うようになってしばらくは、私は自分の身の置き場に困っていた。先生たちは子どもたちと全力で関わり、ハードワークをこなしていた。その一方で、私は校内をぶらついては校長室に戻って、うわの空で事務ワークを行っていた。けれども、そんな日を繰り返しているうちに、その感覚は少しずつ変わっていった。思わず感心してしまうような実践を重ねている先生たちに心が動くようになり、屈託のない表情で日々を生きている子どもたちとの関係も生まれていったのである。最初は距離を感じていたはずの場所が、気がつけば、自分の居場所のように感じられるようになっていた。
何か大きなことをしたわけではない。それでも、学校の運営に関わり、人と人との関係の中に身を置くなかで、自分にも果たし得る役割があるのかもしれないと思うようになった。特別支援学校で取り組まれていることの意味が了解できてくると、教員たちの努力や苦労、子どもたちの精いっぱいの日常が、とても愛しく感じられるようになっていった。そして、その愛しく思う気持ちを表現することが、私にできることなのではないか、と感じるようになっていったのである。
子どもたちと仲よくなるにつれ、子どもたちが、昼休みの遊びに私を誘ってくれたりするようになった。10代の子どもたちと本気になってボールを追いかける50代半ばの私を、自分でも誇らしく感じたりもするようになった。
1年が経ち、私の思いを表現する場として、卒業生たちを送り出していく機会を見つけた。卒業式で一般的な祝辞を述べるだけでは物足りないと思った。言葉のやりとりが苦手な子どもたちも多く参加する卒業式で、参加者の心に残るメッセージを少しでも発することはできないかと考えた結果、作詞作曲をして、ピアノで弾き語りをすることにした。たいした歌ではなかったが、子どもたち、保護者、それに先生たちも喜んでくれた。歌は下手でも、私の思いは伝えることができたと感じた。
こうして、私は「校長」という役職ではなく、「私自身」として学校にいることが許されているような気持ちになっていった。学校の営みに自分自身を位置づけることができると、校内を歩き回るという単純な行為さえ、意味が変わっていった。最初は所在なくうろつきまわるだけでしかなかったのが、先生や子どもたちを応援する行為になっていったのである。
振り返ってみると、やりがいがあったから続いたのか、続けたからやりがいが生まれたのか、その順序はよくわからない。ただ、気づけば、5年という時間が過ぎていた。校長職を後にして既に2年以上が過ぎたが、今でも学校を訪ねれば、多くの人が駆け寄って歓迎してくれる。学校で問題が起こると、私に相談をしてくれる教職員もいる。そのこともまた、特別支援学校での仕事はやりがいがあったと感じさせる要因になっている。







