「やりたくない仕事」の中でも、残る手応えは……
特別支援学校での仕事は5年間だけで、その期間も含めて、私は28年間、大学で働いている。大学教員としての仕事には、気が進まない業務もたくさんある。
例えば、大学教員の年中行事に入試業務がある。とても大切な業務で、この時期は学内に独特な緊張が走る。中でも、入試監督は、できれば避けたい仕事のひとつだ。分厚いマニュアルを渡され、そのとおりにひとつひとつの手順を確認しながら進めていく。ミスは許されないが、ほとんどの時間は受験生を静かに見守るだけで、単調で緊張感の持続を求められる。
また、眠たくなる長い会議もたくさんある。パソコンに向かって、ひたすら、単純な入力をするような仕事もたくさんある。かなりの時間がそれらに費やされているのである。直接的に研究活動や教育活動に関係のないような仕事もたくさんあって、大学教員はさまざまな活動に携わっている。すなわち、大学教員の日常は、やりがいとは程遠い仕事が大半を占め、365日がマルチタスクなのだということに、私は当事者になって初めて知った。
それでもなお、私は自分の仕事にやりがいを感じている。考えてみると、それは仕事の中に、こうした膨大な雑務の時間を脇に押しやってしまうほどに、おもしろく、引き込まれる瞬間があるからなのだと思う。たまに出現する、幸福な瞬間の体験ができることで、日常の雑務も単なる時間の浪費ではなく、私の仕事としての意味が生まれる。
私の場合、研究・教育活動は社会的実践と隣り合わせの関係にある。地域の居場所づくりをしたり、知的障がい者の大学教育を創出したり、障がい者が働くカフェを運営したりなど、多くの人たちを巻き込んだ活動をしながら、その活動で起こることと研究や教育とを結びつけてきている。社会的実践に取り組んでいると、トラブルも多くあるが、社会に何かしらのプラスの価値をもたらしていると感じることもある。例えば、私たちが信念を持って取り組んでいる活動に参加している人たちが、暗い顔から明るい顔に変化していき、いつしか、笑顔があふれる表情であいさつを交わすようになっていくのに出合うときなど、私は仕事の誇りや自信を感じる。
また、学生や同僚の教職員とのコミュニケーションも、私の仕事に意味を与えてくれる。日々実感するわけではないものの、卒業していく学生の成長の軌跡を振り返るときなどに、大学での仕事も悪くないと感じる。同僚と助け合って仕事をするときなどは、長い時間をかけてつくってきた組織の文化を感じることがあり、組織の営みの一端に加わることができる喜びを感じることもある。
ごくたまに、瞬間的に感じられるこうした仕事のやりがいが、私の職業人生を支えている気がする。







