授業内容と直接は関係ない話です。そうしつつ、さらに子どもたちの様子を察知するのです。そして「みんなのいいところを書きました」と伝えてみました。
この際、板書を見つめていた子をこうほめます。
「しっかりと見ているね」
そして、教室全体に拍手を促します。
この日の私との時間で、子どもたちに「こうあってほしい」という指針を示すのです。ただし「こうしなさい」とは言いません。子どもたちの小さな動きを逃さず、まず小さなことからほめるのです。「みんなにすでにいいところがあるから、もっとできるだろう」と促します。
ほめる、というのは私の北九州市での小学校教員時代からの重要なキーワードです。
荒れている日本の公立小学校の学級の多くが、クラスメイトの話を聞けず、また自分でも話せないという共通点があります。教室内で相手への関心が少なく、相手がどういう人かわからないので自分の発言が周囲にどう受け入れられるかもわからない。したがってどんな発言で自分が教室での攻撃対象になってしまうかいつも不安で、おたがいが敵意を持ってしまうという状況に陥ります。
この教室も不安や敵意が充満していたのでしょう。教室が心理的に落ち着かない場所だったという点が想像できました。
前を向いて座れない
敵意むき出しの子
問題があると事前に話を聞いていた子はグレーのシャツを着ている男の子です。授業中、どうしても前を向いて座れない。そんな様子でした。なんとかその場にいるという感じで、机の下に脚を納めず、体が横を向いています。
クラスメイトや先生は敵だから、同じ行動をしたくないのだろうな、と解釈しました。この子については暴力ばかりか、彼のふたつ後ろの席に座っていた男の子とトラブルになり、金品を脅し取ったため、親同士で裁判沙汰になっているという話も聞きました。
もちろんすさんだ心境の背景には、本人の複雑な家庭事情もあったでしょう。隣のクラスに兄弟がいました。ご両親が再婚し、それぞれの連れ子だというのです。授業では教室全体に気を払いつつ、彼の行動にも注目しました。
私はこの日は道徳の授業を行い、「ねずみと象」という話をしました。







