図3-4によると、就業者1人当たりの労働生産性は、1994年から2007年にかけて上昇トレンドにある。労働生産性は、年1.3%のテンポで改善している。その後は、08年から09年と、20年に大きく落ち込んだものの、ほぼ横ばいで推移してきた。
就業時間当たりの労働生産性のほうは、94年からの30年間、改善し続けていた。労働生産性の上昇テンポは、94年から07年までは、年1.7%で上昇してきた。その後も、労働生産性は、07年から24年までの17年間、年0.7%のテンポで上昇してきた。
もしかすると、こうしたデータを見てきた読者は、少し驚いているのかもしれない。日常の会話でも、専門的な議論でも、実質賃金の低迷と聞くと、自然と労働生産性の低下が主因として議論されがちであるが、そうした思い込みが実際のデータが語ってくれることと大きく食いちがっているわけである。
労働生産性は上がっていたのに
なぜ賃金は上がらなかったのか
それでは、労働者が30年にわたって「失われた実質賃金」を取り戻すには、どのように経営と対決すればよいのであろうか。
これまでの議論から明らかなように、企業の価格転嫁を前提に名目賃金を引き上げても埒が明かない。あくまで、労働組合は、労働分配率の大幅な上昇を賃上げ闘争のターゲットとしなければならない。労使のあいだの賃上げ交渉は、まさに労使協調から労使対立へと大転換する必要がある。
それでは、どの程度、労働分配率を引き上げればよいであろうか。
就業者1人当たりで見て実質賃金は、30年にわたって年0.45%低下してきた。30年間に労働者が受けた損失は、0.45%/年×30年で13.5%の損失になる。それを労働分配率の向上で取り戻すには、24年の56%から、56%×(1+0.135)で64%へと8%も引き上げないといけないわけである。
一方、資本分配率は、32%から24%にまで8%低下させなければならない。
21世紀初頭にピークを打った労働分配率が64%、底を打った資本分配率が8%であったことを踏まえると、このような労働組合の闘争目標がいかに困難なものであるかがわかるであろう。
逆にいうと、過去30年間の労働分配率の低下トレンドは、その裏側で資本側が享受してきた便益がいかに大きいものであったかということを雄弁に物語っている。資本側は配当の大幅増や株価の高騰で莫大な果実の分配を受けてきた。
資本側と対決しなければ
真の賃上げは達成できない
私の文章が、なにやら、労使対立を扇動するマルキストのプロパガンダのような言い回しになってきた。しかし、私には労働者や消費者の立場だけでなく投資家の立場もあるので、実質賃金の向上に向けた労使対立の是非を述べるつもりはいっさいない。
『日本経済を診る――シン・競争の作法』(齊藤 誠、筑摩書房)
私がマクロ経済学者として率直に主張したいのは、交易条件が悪化し、労働分配率が低下していく厳しいマクロ経済環境(ただし、労働生産性はかならずしも鈍化していたわけではなく、実質賃金の低下をなだらかなものにしてきた)にあって実質賃金を大きく引き上げようとすれば、総労働が総資本に対決する覚悟が必要となるということである。
労使対決こそが、資本主義経済の本質なのだと思う。これはこの記事において最も重要な箇所なので、読者はぜひ覚えておいてほしい。
価格転嫁を前提とした労使協調の賃上げ交渉に対して政治家、財界人、官僚、そし大学人がお墨付きを与え、メディアがお祭り騒ぎのように春闘を報じている日本社会は、そこに住む私たちが資本主義社会の本質を見えにくくしている、いや、見失わせているのだと思う。







