ただし、日本ではドラスティックな人員削減は避ける企業が多かった。ここに来て、日本企業の反転攻勢が可能になったのは、何度も超円高にさらされながら、積み上げてきた技術を捨てることなく磨き続けたことが大きかった。トヨタはその代表格である。

 もちろん、「デフレが良かった」などと言うつもりはない。失われた世代の所得損失は膨大であり、そこで失われた技術も多く、少子化を加速させる要因ともなった。デフレが企業の足腰を強くしたのはあくまで生き残った企業に限った話であり、その反転攻勢は無数の犠牲の上に成り立っている。

東西ドイツ統一の呪縛

 VWの苦境の原点は、35年前の東西ドイツ統一にまでさかのぼる。

 1990年の通貨統合で、コール首相は東ドイツマルクを1対1でドイツマルクに交換することを決めた。経済合理性より統一の速度を優先した結果だったが、その代償は大きかった。購買力平価から見れば適正レートは4対1か5対1とされており、東側の企業は一夜にして国際競争力を失った。

 西側の労働組合は東側の安い労働力に競合されることを恐れ、賃金の急速な均一化を強く求めた。結果として生産性が追いつく前に賃金水準だけが引き上げられ、東ドイツは「安い労働力」というメリットを享受できなかった。

 その判断の帰結は、隣国との比較で浮き彫りになる。独立国として自国通貨を維持したチェコやポーランドは、低コスト生産拠点として外資を引き寄せることができた。VW自身がチェコのシュコダを買収し、BMWはポーランドに、メルセデスはハンガリーに工場を構えた。「安くもなく、高付加価値でもない」という中途半端なポジションに追い込まれた東ドイツは、苦戦を強いられることになった。

 VWが旧東ドイツにも巨額投資を行う一方、チェコのシュコダを中東欧戦略の中核拠点として育成してきた事実は、統一後のドイツが抱えてきたコスト構造上の難しさを物語っている。