三木城の教訓を生かした、秀吉の徹底的な兵糧攻め

 翌天正9年、秀吉は再び鳥取城を包囲します。

 秀吉は、前年まで続いた三木城攻めで、兵糧攻めの経験を積んでいました。別所長治が約2年間も持ちこたえたことから、今回は同じ失敗を繰り返さないよう、周到な事前準備を進めます。

 有名なのが、鳥取周辺の米を高値で買い占めた、という逸話です。これは江戸時代の軍記物『陰徳太平記』に見える話で、一次史料による裏付けはありませんが、当時秀吉が周辺地域から米を徴発していたことは確認できるため、城内へ兵糧を入れないよう事前に手を打っていたことは確かでしょう。

 さらに秀吉は、鳥取城を完全に孤立させるため、大規模な包囲網を構築しました。城の周囲には総延長約12キロにも及ぶ空堀が掘られ、各所に30以上の付城が築かれました。付城同士は柵や砦で結ばれ、鳥取城と外部との連絡を徹底的に遮断したのです。

 また、日本海や千代川を利用した補給路も封鎖されます。若狭や丹後から集めた船団によって海上封鎖が行われ、兵糧輸送の中継地点となる丸山城や雁金山城も攻略されました。

秀吉は鳥取城攻めに先立ち、日本海や千代川など水路を封鎖。また中継地点となる城をつぶし、兵糧の補給ルートを完全に遮断していた (C)かしまし歴史チャンネル秀吉は鳥取城攻めに先立ち、日本海や千代川など水路を封鎖。また中継地点となる城をつぶし、兵糧の補給ルートを完全に遮断していた (C)かしまし歴史チャンネル

 こうして鳥取城は、完全な孤城となったのです。