上司の振る舞いと
部下の行動の意外な関係
そして著者たちは、上司の振る舞いと部下の問題行動のどちらが先に立つのかを精密に解いた。
すると、予想を裏切る結果が現れた。部下の問題行動のほうが、後の上司の「破壊的リーダーシップ」を予測していた。部下側の問題行動が先に立っていたのである。
具体的に想像してみよう。締め切りを平気で破る。報告を怠る。注意されても直さず、陰で手を抜く。同僚の足を引っ張る。そういう部下を抱えた上司が、最初から怒鳴っていたわけではない。
だが、何度言っても変わらない相手に向き合ううちに、言葉はだんだん荒くなり、監視はきつくなり、態度は冷たくなっていく。気づけば、はたから見れば立派な「威圧的な上司」のできあがりだ。データが映し出したのは、そうした構図である。
著者たちは、こんな可能性にも言及している。
部下の逸脱が先に立つのなら、「破壊的リーダーシップ」と呼ばれているものの正体は、しばしば破壊などではない。上司の対応は、組織文化や仕事の進め方を変えるために必要な変更にすぎず、従業員の側がその変革を進める人物を「破壊的」で「有害」な上司と呼んでいるだけなのかもしれない、ということだ。
ここで言う「上司の対応」とは、必要な指導や叱責(しっせき)のことであって、人格を否定する罵倒や私的な攻撃を正当化するものではない。ただすことと、いたぶることは違う。
稲盛が「立派に成長してほしいという愛情や思いやりの心さえあれば」と説くように、相手の成長を願う心があって初めて、厳しい言葉は指導となる。その一線を踏み越えれば、それはもはや指導ではない。
波風立てるのを恐れて
見て見ぬふりするのは「逃げ」
だが、この一線の手前にある正当な指導までを、上司が恐れて手控えているとすれば、話はまったく別である。
いま、多くの上司が萎縮している。一言注意すればハラスメントと言われかねない。だから、見て見ぬふりをする。部下の遅延も、手抜きも、責任逃れも、波風を立てたくない一心で見過ごす。これこそ、稲盛が最も危険視した姿だ。







