Photo:JIJI
コマツの坂根正弘元社長が8月10日に死去した。2001年に社長に就任し、創業以来初の営業赤字に転落した同社をV字回復へと導き、「中興の祖」とも称された。経団連副会長や政府の産業競争力会議のメンバーなども務め、財界の重鎮でもあった。同氏は技術やサービスを徹底的に尖らせて競合に差をつける「ダントツ経営」の基盤をいかに築いたのか。連載『重工・機械 成長への羅針盤』の本稿では、「週刊ダイヤモンド」2007年3月24日号の坂根氏のインタビューを紹介。坂根氏が「固定費」を起点に、同社初の希望退職といった大手術にも踏み切り、構造改革を成功させた経緯などを解説している。のちに建機メーカーとして世界2強の地位にまで上り詰めたコマツの当時の逆境を坂根氏はどう跳ね返したのか。(ダイヤモンド編集部)
自分の強みはトラブル現場にあった
「本当の問題は固定費」構造改革の出発点
技術系ながら、私は大学時代から設計製図の作業が好きではなかった。設計製図の点数も、教授を拝み倒してもらったようなところがある(笑)。
小松製作所(現コマツ)入社後も設計以外の部門を志望していたのだが、新人技術者は設計か生産技術を経験させるという会社の方針だったため、結局、設計部門に配属された。
入社当初は誰しも、自分が何に強いか分からない。私の場合、設計をしながらやはり図面を描く作業は性に合わない、という気持ちがあった。しかし、製品になにかトラブルが生じたと聞くと、真っ先に出かけていき、お客さまの話を聞いた。そのうち自分でも、強みはそういう部分にあるのだと分かってきた。会社もようやくそこに気付いたと見え、7年後には品質管理部門に異動。営業・サービス部門からは、製品に関するクレームがあるたびに私に召集がかかるようになった。
このように、個人の場合は自分の強みを見抜き、それを磨いていくことが大切だ。一方、企業の場合は、強みを磨くと同時に、弱みを改革するという両面作戦が必要となる。しかし、往々にして弱みの克服ばかり議論しがちだ。これでは、本当の再建はできない。
このことは、私のビジネス人生全般を通して変わることのない考えである。1994年に、米国法人(現コマツアメリカ)社長を経て本社に戻った当時は、ちょうど日本の製造業全体がものづくりに自信を失っていた。私は海外展開に直接関わっていた立場から、当社が負けているのは製品そのものの価格競争力ではなく、それ以外のコスト、つまり固定費であると認識していた。
2001年に社長に就任したとき、まず社員に、「日本は製造コストでは競争力がある。問題は固定費だ。弱点である固定費の削減にまず全力を尽くそう」ということを、データを示しつつ繰り返し説明した。これが、経営構造改革の出発点にもなっている。
01年度は、本体が132億円の営業赤字に転落した最悪の時期だった。固定費削減のために、世界で300社にも達していた連結子会社の統合・整理を進め、最終的に220社まで絞り込んだ。その結果、400億円あった連結子会社の赤字が、05年度にはほぼゼロになり、逆に利益を出せるまでになった。
利益率の高い鉱山機械にも注力し、建機メーカーとして世界2強の地位を築いたコマツは、今では考えられないほどの逆境にあり、希望退職の募集という苦しい決断も迫られた。次ページで、坂根氏が大手術を伴う構造改革の内幕と、そこから得た独自の経営論を明らかにする。







