部分を積み上げるだけでは全体にならない

 鈴木が〈ビアンセアンス〉と呼ぶ感覚の原点には、20代の終わりに英国を代表する美術・デザイン大学、Royal College of Art(RCA)へ留学した経験がある。そこで鈴木は、「あなた自身は何を良いと思うのか」と繰り返し問われたという。

 自分は何に心を動かされ、何を美しいと思うのか。ヒントは大学の外にあった。長期休暇を利用して欧州からインド、チベットやネパールまで、バックパックを背負って旅したときのこと。ヒマラヤに滞在中、出されたミルクティーの傷だらけの素朴なカップが、驚くほど美しく見えたのだ。

「もし、有名なデザイナーの洗練されたカップがここにあったら、同じように美しく見えるだろうか? そう自分に問うたとき、自分が求める『良さ』は、モノだけが独立して美しいことではなく、周囲の環境と響き合って、空気をわずかでも良くすることだと気付きました」

 以来、モノと周囲の関係の中に「良さ」を見いだすことが、鈴木のデザインの軸になっていく。これは、モノより体験が重要だ、という単純な話ではない。鈴木にとって、モノと体験はそもそも切り分けられないものだからだ。

「体験をかたちに凝縮したものがプロダクトです。延長コードも、持ち上げたときの重さ、コンセントに差し込んだときの手応えまで含めて、あのかたちになっている。人間の体と心を分けられないのと同じで、プロダクトのかたちと体験も分けられない。分解した瞬間、全体性が失われてしまいます」

 部分を積み上げれば、それだけで全体にたどり着けるわけではない、と鈴木は言う。といっても、分析やロジックを否定しているわけではない。

「分析することも、それをロジックで積み上げることも、どちらも大事です。僕のデザインも90%はロジックだと思う。でも最後の10%は直感でなじませないとしっくりこない。前職ではユーザー観察も散々やってきましたが、リサーチから得られるのは分析的なデータ以上に、人間に対する全体的な印象です」

 ユーザーを何十人も観察していると、一人一人の言葉や行動を超えて、「あ、こういうものが欲しいのか」という「感じ」が浮かび上がってくる。デザイナーは、はっきり言語化されていないそのイメージを具体的なかたちにしようと奮闘する。何度も、猛烈に作り直した揚げ句、「これだ!」というものにたどり着く。確かにあるが、まだ見えていなかったものが、かたちを得る瞬間だ。