居場所の獲得と喪失――長谷川さんの半生をたどる
長谷川さんは、神戸大学大学院の博士後期課程で研究を進めている。福岡県に住み、毎週月曜日にスーツケースを携えてゼミにやってくる。海外調査に出掛けては、帰国後に目を輝かせて報告してくれる姿に、私も含めて、ゼミのメンバーは大きな刺激を受けている。
30年以上にわたり、障害福祉の現場と法人経営に携わってきた長谷川さん――「所属感」をキーワードに、その経営者人生をたどってみたい。
長谷川さんの職業生活のスタートは、知的障がい者福祉施設職員だった。大学の実習で出会った知的障がいのある子どもたちの姿に魅力を感じ、地元で旗揚げする社会福祉施設の就職試験を受けた。しかし、結果は不採用。結果に納得できずに、理事長に直談判しに出掛け、「日本一の施設にします」という言葉で採用を勝ち取った。
働き始めてみると、縁故採用ばかりの職場で、一緒に採用された仲間たちは社会福祉とは縁のない「素人」ばかりだった。そのため、社会福祉を学んだ長谷川さんの専門的な知識は貴重で、同僚たちは長谷川さんの言葉に真剣に耳を傾けた。夜10時の宿直室に職員たちが三々五々集まってきて、他愛もない雑談を楽しむ、仲の良い集団だった。仲間たちは、長谷川さんの専門的な知識をみるみるうちに吸収していき、同僚たちの力がついてくると、長谷川さんの存在意義は薄まっていった。それぞれのやり方を身に付けるようになると、長谷川さんの知識を疎ましく感じる同僚さえ出てきた。長谷川さんは、職員の集団に「所属感」を持てなくなり、30歳を前に転職を決意した。
次のキャリアを模索していた頃、長谷川さんの父が定年退職し、父の退職金を前借りして元手をつくり、社会福祉法人を設立することにした。当時31歳の長谷川さんは、新しい知的障がい者施設の経営者となり、「障がいの重さに関わらず、誰でも受け入れること」を施設運営のコンセプトに掲げた。「手のかかる」障がい者の利用を避けようとする施設が多い中で、長谷川さんは、行き場を失う障がい者の存在が気になっていた。アメリカに視察に行くなど、新しい社会福祉の情報にも触れ続けたこともあって、法人の評価は高まり、組織は急成長していった。「この国の福祉を良くしよう」という一心で、日々忙しくなる施設運営に奔走した。
充実した日々だった一方で、長谷川さんは経営者として、職員たちから一定の距離をとった緊張関係を保とうとした。組織を発展させようと自分自身と職員との間に引いた境界線だったが、「私の人生にとって、最も寂しく辛い時期だった」と長谷川さんは言う。
仕事に没頭する中で、施設経営に新しいコンセプトも生まれていった。初めは、障がいの重い人たちを前に、「ありのまま」を受け入れようとしていた。しかし、施設経営を始めて3年が経った頃から、「ありのままを受容するだけでは、人は成長しない」と思うようになった。社会福祉の取り組みにも「学び」が組み込まれていなければならないという考えは、長谷川さんを新しい取り組みへと駆り立てていった。







