毎年、事業が1億円もの赤字を出していき……
「学び」に重点を置いた施設づくりに舵を切るきっかけになったのは、長谷川さんの次女の卒業後の進路問題であった。次女には、最重度の障がいがある。彼女が特別支援学校高等部を卒業するにあたって、長谷川さん夫妻は納得のいく進路先を見つけることができなかった。特別支援学校の校長先生に「娘を留年させてください」と頼んでみたが断られた。特別支援学校で、彼女は友達と笑顔で過ごしていたが、卒業後の同じような姿を、長谷川さんは想像することができなかった。
そこで、長谷川さん夫妻は、次女を受け入れてくれる学校はないかと探し回った。しかし、該当する学校はなかったため、自分たちで「学びに力点を置いた社会福祉施設」を創る決断をしたのである。そうして立ち上げたのが、「カレッジ福岡」だった。この時、長谷川さんは50歳を超えていたが、さらにその2年後、東京に進出して「カレッジ早稲田」を設立した。長谷川さんが東京進出を決意したのは、「このような新しい取り組みは、東京で脚光を浴びなければ全国に広がらない」と考えたからだ。
当初は毎年1億円レベルの赤字を出す事業の船出だった。当時、「学び」に焦点を当てる社会福祉施設の方針に対する社会の声は冷たいものだった。多くの関係者から厳しい批判も浴びたが、それでも、障がい児を育てる親たちの中に、熱心に長谷川さんをサポートする人も生まれていった。粘り強い活動の結果、徐々に理解者が増えていき、2016年に「株式会社ゆたかカレッジ」を立ち上げ、5年目に黒字化に漕ぎつけた。
その後、特別支援学校高等部卒業後の学ぶ場を求める声は順調に広がっていき、その声に押されるかたちで、長谷川さんは関東圏に次々と新しい「カレッジ」を設置していった。波に乗った事業だったが、還暦を迎えたタイミングで、長谷川さん夫婦の長年の苦労が身体に表れてきた。「もう無理はできない」と感じる中で、長谷川さんは「この取り組みの未来を、信頼できる人たちに託したい」と考えるようになっていった。ちょうど故郷の福岡に、仲良くしていた経営者がいた。この人であれば信頼できると考え、「株式会社ゆたかカレッジ」の全株式を譲渡し、経営を託した。こうして長谷川さんは、無理なく「カレッジ」の取り組みに打ち込むことができるようになった。
ところが、その3年後、経営を託していた会社が倒産し、別の企業が「株式会社ゆたかカレッジ」の株を取得した。その企業から『役員全員退任』を求められ、長谷川さんは、人生を懸けて創り上げてきた『カレッジ』という居場所を失うことになった。2024年のことだった。







