組織の歯車ではなく、人として扱われる「所属感」

 所属感とは、単に「その組織に所属している」という事実ではなく、「自分はこの場所の一員であり、自分の存在には意味がある」と実感できる状態なのだと思う。

 企業は、潜在能力の高い学生を採用する。しかし、その学生が入職して十分に力を発揮できるかどうかは別の話である。職場環境に馴染めなかったり、入職前に抱いていた期待と現実との乖離に「裏切られた」と感じることがあったり、最悪の場合は、「所属感」を得る前に離職の決断をしてしまうことさえある。

「所属感」は、組織にとっても、個人にとっても、とても重要である。構成員に「所属感」がなければ、組織の問題は他人事でしかない。構成員が組織の問題を「他の構成員と力を合わせて解決しよう」とは思えないだろう。そうなると、組織は個人の力を十分に活用できないし、構成員は組織に対して無力な存在でしかない。「所属感」を持てないと、心理的安全性が脅かされ、孤独を感じることもある。

 最初の職場で長谷川さんが、職場の同僚と仕事を通した信頼関係を形成できたことは、その後の職業生活で信念を持って仕事に取り組むことができる土台となったのではないだろうか。「自分が組織に貢献できている」という手応えを得ることができた背景には、宿直室で雑談できる関係が築かれていたことにあったはずだ。単に「長谷川さんの持つ専門的な知識が組織に使われている」ということではなく、専門的な知識を持った長谷川さんが、「人として組織に迎え入れられている」状態がつくられていたからだ。

 構成員が、「組織の歯車としてではなく、人として扱われている」と感じるためには、オフィシャルな関係から離れた「すき間」の時間が大切である。近年は、職場の飲み会や運動会、旅行など、「仕事以外で組織に拘束されること」は、否定的に捉えられ、「すき間」をつくることが容易でなくなっている。しかし、それをカバーする工夫はできる。例えば、ミーティングや研修の際に、無理やりチームビルディングを挟むのではなく、「他愛のない無駄話を許容する心理的安全性」を確保することに注力するといった工夫である。休憩時間に雑談の輪が自然発生したり、退社時に気の合う同僚たちが一緒に駅まで歩いたりといった日々の積み重ねが、実は組織にとっても大切なことなのだ。

 そのうえで、「一緒に汗をかき、一緒に頑張り、同じコミュニケーションに巻き込む」ことが、「所属感」を自然に育てたと、長谷川さんは述懐する。長谷川さん自身、組織経営に身を置くことで、現場で働く人たちが見えなくなっていくことに悩んだ時期があった。しかし、さまざまなポジションの人が一緒に組織を成り立たせ、組織をよりよいものにしようとする観点に立てば、相手に対する印象や接し方も変わってくる。同じ組織で働く仲間として、「あなたの存在には価値がある」という気持ちを、何かの機会を見つけて相手に伝えることができたらいい。そのためにも、できるだけ垣根のないコミュニケーションを普段からつくっておくことも大切だ。

 所属感とは、組織が上から「与える」ものでも、制度によって「強制」するものでもない。長谷川さんがその波乱に満ちた半生を通じて教えてくれたのは、人は組織の「歯車」として機能することを求められたときではなく、一人の「生身の人間」としてその存在を認められたときに初めて、その場所に深く根を下ろすということだ。経営者やマネジメント層にできるのは、「所属感」を「管理」することではない。「管理」は、職場内の「境界線」を太くしてしまう。「所属感」が自然と育つための「温かな環境」を辛抱強く整え続けることが大切なのだ。誰もが「ここにいていい」と実感し、自ら進んで汗をかくことができる――そんな人間味あふれる職場コミュニティのあり方を模索していきたい。