「所属感」が、仕事のモチベーションに影響を与える
積み上げてきたものが崩れても、長谷川さんの目の輝きは失われなかった。「次は学術だ」と思い定め、神戸大学の門を叩いたのである。研究テーマは、「知的障がい者が大学で学ぶこと」について。「カレッジ」の取り組みを、さらに発展させることを念頭に置いた研究テーマである。
博士後期課程に入学した長谷川さんは、すぐに行動を開始した。最初の半年の間に、アメリカに2回、ヨーロッパに1回出掛け、研究会に参加したり、調査をしたりしてきたのである。日本は「知的障がい者の大学教育」の領域で、欧米に大きな後れをとっている。アメリカの多くの大学には知的障がいのある学生のためのプログラムがあり、それを国レベルで支えている。そうした海外の取り組みを背景とした学会で、「所属感」が次の課題として熱く語られていることに、長谷川さんは衝撃を受けた。
思えば、長谷川さんの人生の大半は、組織づくりに懸けてきた。その組織に入れるべき魂こそが、「所属感」だったのではないか。長谷川さんが大切にしようとしてきたことが、「所属感」という言葉で表現できるような気がした。
さまざまな場面で、知的障がい者は、形だけの席を用意された「お客様」であることが多いのではないか。「一緒に汗をかき、一緒に頑張り、同じコミュニケーションに巻き込む」ことで、知的障がい者を取り巻く状況が変わっていく。そのような変化を生み出すためにも「所属感」に注目することが大切なのだ。
「所属感」が研究のキーワードになるにつれ、長谷川さんは自分自身の「所属感」を考えた。思い返せば、人生の要所要所で「所属感」は大切な役割を果たしていた。周囲からの期待とともに受け取っていたものが「所属感」だったこともあった。仕事に打ち込んで充実した日々を支えていたのも「所属感」だったのかもしれない。さらには、「所属感」の喪失が、人生の次のステップに自らを押しやったこともあったし、共に働く仲間の「所属感」に悩んだ時期もあった。共に働く仲間が、任された仕事をいい加減にこなしていたのは、その仲間が「所属感」を失っていたことに原因があったのではないか。長谷川さん自身が「所属感」を理不尽に奪われる経験もした。
私は現在、大学の中間管理職として、組織を構成する教員の「所属感」に向き合っている。例えば、受験生向けの広報として、ラジオ番組を録音・編集してYouTubeで公開する作業に取り組んでいる。私たちの組織の構成員が自分の研究を魅力的に語る番組だが、インタビューの協力を依頼した際に、相手の教員から「組織のためになることであれば喜んで」という返信がくることが多い。そのような返信に、その教員の「所属感」を確認し、私も安心する。
また、人事評価に関与しているときには、裁定した評価によって、「私はこの組織に必要とされていないんだ」と当人が感じてしまうのではないか、とやきもきすることも多い。
「所属感」が、構成員の仕事へのモチベーションに決定的な影響を与えているという直観は、このような日々の経験によって、私の中にも蓄積されている。







