最初に手をつけたのは、当時の看板商品だった本醸造1級酒<旭富士>です。
まず思いついたのは、灘・伏見の大手メーカーが出し始めたばかりの紙パック詰め日本酒(1800ml)でした。調べてみると、私たちのようにつぶれかけの酒蔵でもなんとか手が出せそうな充填機も見つかりました。
通常の瓶詰め製品に比べて、1本当たり約6倍もの人員が必要でした。それでも当時は、社員から毎日のように「売れないから仕事がない。今日は何をしましょう」と文句を言われるほど人が余っていたので問題ありませんでした。
人海戦術によるヒットの行く末は…
実際に生産を開始してみると、これが大ヒットしたのです!
「うちの新製品なんて売れるわけない」と弱気になっていた営業担当者たちも、酒蔵から営業活動に出る時点で紙パックしかトラックに積まずに、午前中にはトラック1台分の積荷をすべて売ってしまう大戦果でした。いつもは気弱そうに下を向いて皮肉しか言わない営業担当も、なんとなく自信を持って胸を張っているように見えました。
この大ヒットに気をよくした私は、ワンカップならぬ紙カップ(180ml)も作りたい、と目論見ました。
ただ、紙カップは1800ml詰めのような安い充填機がありません。当時の私たちに、1000万円以上もする高価な機械を購入する余裕はありませんでした。
ところが、よく調べてみると、紙カップというのはカップの内面に樹脂が塗られて、そこへアルミのフタをのせて熱を当てると蒸着される構造でした。
「そうや、アイロンや! アイロンでつけたらいいんや! 機械なんかいらん!!」
1000万円の機械の代わりに、数台購入したアイロンと、暇を嘆いていた瓶詰め担当の女性たちが活躍してくれました。こうして紙カップに充填できるようになり、一時は1800ml紙パックと180ml紙カップで、旭酒造の全出荷量の2割を占める勢いでした。
しかし、これら紙製品は、しばらく後にやめざるを得なくなりました。
売り上げ増に貢献しているかに見えたのも、まやかしだとわかったからです。