9.11に歓喜する中東でも感じた世界の多様性

 一方、グローバル化が進むとはいえ、世界の多様性が消えていくわけではありません。拙著『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社)の第6章をはじめ、数多くの章で示唆しているのは、世界の均質化が進むと同時に、世界の多様性が目に見えて重要な時代になったということです。

 語り尽くされている単純な事実ですが、世界中の現地で、現地の人々と触れることでしか見えてこない多様性があります。そして、その一端や一面は、そこで何年も暮らさなくても感じることができます。

 これは私が中東で働いていたときのことです。2001年9月11日に発生したアメリカの同時多発テロ事件の特集番組が、オフィスの食堂のテレビで流れていました。そのとき、アメリカ人はもちろん、私たちにとっても大変な衝撃を覚えるシーンで、逆に数人からは歓声が上がり、拳を突き上げていた人たちがいたのを覚えています。

 また、アジアのある途上国ではこんな経験をしました。沿岸部の工業地帯をドライブしていたとき、ふと海岸で車を止めて海を眺めていると、工場の労働者だと思われる数人の集団が歩いてきました。そこには1つの会話もなく、怒りも、悲しみもうかがえず、少しばかり見つめた彼らのその目は、いまでも忘れることができません。

 ベトナムの少数民族のトレッキングガイドの家を訪れたこともあります。山間部にある隙間だらけの石造りの家で、鶏と豚が放し飼いにされていました。そして、携帯電話を手に持ち、料理には味の素を使いながらも、薪を燃やして煮炊きをする生活がそこにはありました。

 さらに、ある国では、ジェットスキーを借りて気ままに海を走っていたら、政府系の施設に近づきすぎて、警備艇に撃たれそうになったこともあります。別の国では、石油関係の施設があまりにも巨大で美しかったので写真を撮っていたら、猛スビードで警備の車がやって来て、ライフル銃をつきつけられました。

 とても珍しいケースでは、訪問先と敵対する国から出国した直後に、敵対国と友好関係にある国から陸路で入国したところ、スパイと疑われて荷物を1つひとつ取り出されて確認され、最後は、全身スキャナにかけられてしまいました。

 次第に極端な例になってしまいましたが、ここで言いたかったのは、もちろんリスクに細心の注意を払ったうえで、本当にその国を理解しようと見て回れば、普段は見えてこない姿が見えてくるという事実です。

 それは途上国に限ったことではありません。ニューヨークにも、ロンドンにも、パリにも、都心から少し離れた場所には、公には隠したい現実が存在します。しかし、そこに生きる人々も含めて、それがその国の現実だと思います。

 世界中で同じように広がる高級ブランド街や、箱庭化する観光地や、安心感のある高級ホテルや、どこにでもあるスターバックスやマクドナルドの外側には、私たちの常識では捉えきれない現実が広がっているのです。

 こうした多様性が未来に創りだすものは、唯一最高の、世界中で同質的な経済システムだとは思えないと、拙著の第19章では述べています。そして、この未来を考えるためには、多様性が生きている場所を探すために、ほとんどの観光客が行かないところ、“化粧”がされていない場所を見ることがベストだと考えています。