世界中の都市が均一化することの「つまらなさ」
私が、こうした旅のスタイルを好む仕事以外の理由には、世界中の都市が均一化しているという事実も挙げられます。
ロンドンでも、パリでも、サンフランシスコでも、同じような高級ブランドに身をつつみ、同じような格好をした人たちを数多く見かけます。
技術の進化や、いわゆるグローバル化により、企業が現地の趣向に合わせた商品やサービスを提供するよりも、全世界で同質的な商品やサービスを提供する利点が増しています。それにより、企業が、より多くの同質的な商品を世界中で提供しようとするのです。
セオドア・レビット氏による1983年の論文(*1)から30年が経ち、こうした議論は、もはや空気のように知覚できる時代となりました。どの観光地に行っても、同じような物産店があり、同じような高級リゾートがあり、中華料理もイタリアンも、日本料理も食べられます。
そして、大前研一氏による1990年の『ボーダーレス・ワールド』(*2)や、トーマス・フリードマン氏による2005年の『フラット化する世界』(*3)が解説するように、世界が同質化し、人々の趣向や企業の行動が世界中で似通っていく流れは、現在も力強く進行しています。
そうした状況のなか、「箱庭のように手入れされた観光スポット」を見て回ることは、楽しい側面がある一方で、つまらない側面もあると思っています。
政府や企業の支援のもと、高度に演出された空間での「文化体験」は、最初のうちはとても楽しく時間を過ごせます。しかし、だんだんと、その商業的な側面に目が行ってしまうのです。