筆者は戦後生まれだが、終戦記念日前後の各種の報道を見て、少々ゆっくり、昔を振り返ってみたい気分になった。といっても、経済の話で、それも近年の出来事だ。夏休みの読書用のブックガイドも兼ねながら、振り返ってみたい。

 「サブプライム問題」を「金融危機」に昇格させたリーマン・ショックが発生してからそろそろ1年になる。そもそも危機はなぜ起きたのだろうか。

 元々の問題が不動産バブルとこれに関連した広範囲の金融商品のバブルにあったことについては、多くの賛同が得られるだろう。ここで「バブル」とは、長期的に維持できない資産価格の高騰というほどの意味だ。グリーンスパン前FRB議長は、バブルはその場ではそれがバブルだとは判断できず、大きく価格が下落してはじめてバブルと分かるものだと言っていた。この認識(と責任感)には賛否があるだろうが、資産価格の大幅な下落を既に見ているのだから、バブルの事実認識について異論はあるまい。

 バブルがいったん出来てしまうと、これを無事に解消することは極めて難しい。その状況が「バブルだ!」と分かった瞬間に、バブルの対象資産の保有者はこれを売り逃げしようとする。バブルが大きく膨らんだ後に、これをゆっくりと時間を掛けて処理できたケースは殆ど記憶にない。相場的には「高値自体が最大の悪材料だ」という事態が続く。

 リーマン・ショック以降の金融市場と経済が危機的状況に至ったことの説明はジョージ・アカロフとロバート・シラーの「アニマル・スピリット」(山形浩生訳、東洋経済新報社)の中で、多くの経済主体の「安心」とその基礎になる「物語」が崩壊したことを中心に置いた説明がなされている。単純な経済合理性だけでは説明が付かないマクロ的な現象を、心理的な要因を積極的に使って説明している。説明自体は、常識的で意外性のないものだが、納得できる。経済学も普通の学問らしい道を歩み始めた。

 資産価格のバブルは、表面的にはリスクに対する過小評価と過大な投資によって起こるが、投資が過大になる過程では、必ずといっていいほどレバレッジの利用とそれを可能にする過大な信用の供与が発生している。

 市場に参加している経済主体が概ね合理的に行動する限り、リスクの誤認と過大なレバレッジの二つのうち何れかを押さえ込むことが出来ればバブルは発生しにくい。