『伝え方が9割』が58万部を突破した佐々木圭一氏。コピーライターの兄弟弟子にあたる小西利行氏も新刊『伝わっているか?』で、伝わり方をストーリー仕立てで著しました。今回の対談は、互いのコピーライター駆け出し時代の葛藤と、それぞれの著書への感想を語っていただきます。「ひらめき」を常に要求される厳しい職場で2人が見つけたものとは?
(取材・構成/森 綾 撮影/小原孝博)
泥酔して朝帰りした日ほどコピーをいっぱい書く
コピーライター/クリエイティブ・ディレクター/劇作家/絵本作家 大阪大学卒業後、93年に博報堂に入社。2006年に独立し、現在のPOOL INCを設立。「伝わる言葉」を中心にCM制作から商品開発やブランド開発、企業コンサルティング、都市開発までを手がける。これまでに手がけた広告は、500本を超える。海外の権威ある広告賞である、CLIO、ニューヨークADC、ONE SHOWなど数々の広告賞を受賞。国内でもTCC賞、ACC賞など受賞歴多数。ENJIN 01 文化戦略会議メンバー。http://pool-inc.net/
佐々木 まず、僕から小西さんの紹介をさせていただきます。小西さんは、僕が博報堂の新入社員だった時の先輩です。その頃、コピーライターは徒弟制度になっていて、小霜和也さんというコピーライターが僕の師匠でした。小霜さんのすぐ下にいたのが小西さんで、さらにその下に僕が新人として入ったんです。僕自身のコピーライターの基盤は、3人で一緒に仕事をさせていただいている中でできあがったと言っていいです。広告とはどういうものか?という哲学から、書き方や作法、生き方までも教えていただきました。
小西 僕とは、入社年次が4年違うんだよね?
佐々木 はい、すでに数々の作品を世に出していましたよね。
小西 いや、自分では何もできていないと思っていたけどね。
佐々木 僕こそまったく何もできなかったですよ。それでも同じ仕事に携わらせてもらって。師匠にいろいろ言われるんだけど、言ってること自体がわからない状態。そこで小西さんにいろいろ教えてもらいました。小西さんとは、コピーライターとして育った環境が同じなので、やっぱりコピーの基盤というものが何となく似ている部分がありますね。僕の本でも小西さんから学んだことを紹介させていただいています。
小西 何で同じなんだろうね。小霜さんに、同じようにレクチャーされたわけでもないんだけれどね。
佐々木 同じ文化に触れたからかもしれません。
小西 そうだね。ただ基本的に、非常に厳しいところに佐々木君も僕もいましたね。毎日寝られませんでしたし。
佐々木 そうでしたね。
小西 打ち合わせして、コピー書いて、書いたものを師匠に捨てられて、また打ち合わせして……。で、また書いて、打ち合わせして、飲みに行って(笑)。夜中まで飲んだら、また仕事場に戻って、朝方仕事して、打ち合わせをしてというループ。いったい僕たちはいつ寝るの? という状況でした。
佐々木 明け方4時くらいまでハシゴして飲んだ時に「明日10時の打ち合わせに間に合わない。この状態じゃ書けないですね」と小西さんに言ったら「バカヤロウ!こういう時こそ、いっぱい書くんだ」と返されましたね(笑)。「こんなに泥酔してるのに、書けるんですか?」と。それで、僕は無難に書いて持って行ったりすると、小西さんはしっかり書いてくるんです。しかもいつもよりたくさん。「これ、いつやってるのかな」と思いましたね。
小西 人が「これは無理だろう」と期待してない時に頑張ると、相手はびっくりするんです。だから飲んだ時ほど、質も量も頑張ろうと決めていたんです。でも、佐々木君、いろんな意味であの頃はすごい時代だったね。
佐々木 あの頃は、何がなんだか。無我夢中でしたが、みんなすごかったですよね。