「週刊ダイヤモンド」5月30日号の第3特集は「VW(フォルクスワーゲン)追撃の狼煙 トヨタ設計革命の真実」。トヨタが生産現場の改革を終え、凍結していた工場新設を再開する。と同時に、新たな設計ルール「TNGA(Toyota New Global Architecture)」の準備も整い、2015年中にTNGA第1弾として4代目「プリウス」を投入する。この新たな設計手法によって魅力ある車の機動的な投入を可能にし、世界の主要市場をくまなく攻略できるか──。“意志ある踊り場”の間に進めてきた、知られざる構造改革の本質と、その成否を占う。(「週刊ダイヤモンド」編集部 池田光史)
トヨタ自動車本社(愛知県豊田市)の北東に位置する鞍ヶ池のほとりには、トヨタ創立者の故・豊田喜一郎氏の生家がある。豊田章男・現トヨタ社長の祖父に当たる人物だ。
今年4月初旬、この生家を訪れた。ここに植えられているという、1本の“桜の木”の存在をこの目で確かめるためだ。
リーマンショック時の2008年度、トヨタは4000億円を超える「戦後初」の営業赤字転落という屈辱を味わった。
直後の09年8月、今度は米国でトヨタ車の不具合が原因による死亡事故が発生し、これが大規模リコールにつながった。大バッシングに晒された豊田社長は10年2月24日、米下院の公聴会に出席し、厳しい批判を浴びた。
トヨタの社会的信頼は地に落ちた。何より、日本を代表する“超優良企業”で起きた出来事である。それだけに日本にとっても衝撃は大きく、当のトヨタ自身の記憶にも深く刻まれたことだろう。
こうした赤字転落と品質問題の背景には、身の丈を超えた拡大路線を突き進んだことがあった。
「02年から年間50万~60万台の生産設備を新たに作り、07年くらいまで一気に(生産規模を)上げてきた」「あまりにも拡大のペースが速過ぎて、国内の技術員や開発人員が海外の新工場に支援に行く。そのため国内には、知恵や新技術を入れた生産ラインを検証して作る時間もなく、人材もいなかった」(技監出身の河合満専務/今年4月3日の就任懇談会)
公聴会から1年後の11年2月。こうした失敗を教訓とすべく、豊田社長は役員らと共に祖父の生家を訪れ、庭先にひっそりと桜の記念樹を植えたのだという。
そして、14年度決算。赤字転落と品質危機以降、気を引き締め直したトヨタは、実に2兆7500億円という過去最高の営業利益を達成する快挙を成し遂げた。豊田社長は決算会見の席で、14年度の1年間をこう振り返った。
「私たちが“トヨタ再出発の日”として定めた2月24日、公聴会から5年目の節目となる年に、燃料電池自動車『MIRAI』をラインオフし、100年先の未来に向けたイノベーションの第一歩を踏み出すことができました」
さらに、生産現場の愚直な改革を終えたトヨタは今年4月、“意志ある踊り場”と位置付けて凍結してきた工場新設をいよいよ解禁。メキシコに年間20万台規模の新工場を建設(総投資額約10億ドル)、19年からグローバル主力車種「カローラ」の生産を開始する。中国でも生産ラインを新設し、10万台規模で能力増強する。
Photo by Mitsufumi Ikeda
「販売台数は1000万台になりましたが、600万~700万台のときの設備で、今は1000万台造れます。生産性を上げる努力をしてきました」(河合専務/同)
14年度の営業利益率を10.1%と初めて2桁の大台に乗せたのは、既存の設備を使い倒すことで、工場の稼働率が全世界で9割を超えたからに他ならない。時を同じくして“トヨタ再出発の桜”は、ついに花を咲かせていた。