ワルドマンさんはこう指摘します。「ニュースの鉱石を地中から掘り出す作業をしているのは今日でももっぱら新聞だという現実です。テレビは、新聞の掘った原石を目立つように加工して周知させるのは巧みだが、自前ではあまり掘らない。ネットは、新聞やテレビが報じたニュースを高速ですくって世界へ広める力は抜群だが、坑内にもぐることはしない」と。

「メディアの性格は洋の東西を問わないね」と笑っていたいところですが、このインタビューから4年が経ち、アメリカでは自ら坑内にもぐり、ジャーナリズムに基づいたニュースを提供する生産サイドのネット専業メディアが出てきています。しかし、日本ではそういったメディアは皆無と言っていいでしょう。代わりに、なんてことのない記事の増幅を得意とする流通メディアと生産メディアは数え切れないくらい存在します。

 なぜなのでしょうか? 一つはトレーニングを受けた記者の雇用流動性の低さです。新聞の定期購読が定着していないアメリカでは、バタバタと新聞の休刊や縮小が相次ぎ、ピューリッツァー賞を取るような腕利きの記者が、新しい可能性を求めて積極的にリスクを取り、新しいネットメディアに次々と転身していきます。これが新しいネットメディアを作る原動力になっています。

 一方の日本では、新聞や雑誌の購読数が年々低下しているとはいえ、明日倒産するような事態では(まだ)なく、有力紙にあっては年収1000万円を超える高給も相まって、安定を捨ててまでしてリスクを取ろうとはしません。しかし、そういう彼らが日本の民主主義を支えるニュースを坑道にもぐって掘り出していることは否定できないのです。

 しかし、今のままでは、いずれ紙の新聞や雑誌は、いまのすべての従業員を食べさせていくだけに十分な経営力を持ち得なくなります。もし、メディアの出口を紙にではなく、ネットに求め、かつ、そのときまでに、民主主義を支えるという目的を持ったネットメディアが存在できていないとすれば、それから先、坑道にもぐれる人材が生き残っていく場所がありません(生き残るにしても高給は諦めるしかないでしょう)。

 坑内にもぐるようなことをしないメディアが死んだならば、確かなニュースがなくなる代わりに、政治的に、商業的に力を持った者の言説が幅を利かせ、個人の言いたい放題やデマが飛び交い、民主主義や文明とは無縁の原始的で純粋なコミュニケーションだけで満たされることになるかもしれません。民主主義の死は、新聞や雑誌といったオールドメディアの衰退とともに、すでに始まっているかもしれないのです。