あまりに上手くやり過ぎた?

 米国のSEC(証券取引委員会)がゴールドマン・サックスを証券詐欺の嫌疑で訴追した件については、まだ、確定した名前がない。一部では米国版国策捜査との声もあるから「ライブドア事件」のような感じで「ゴールドマン事件」なのか、このニュースで株価が下がったから「ゴールドマン・ショック」なのか。本稿では、取りあえず、ゴールドマン事件と呼んでおくことにする。

 本件については、ここ数年何でも上手くやってきたゴールドマンがSECの訴追対象になるという意外感と、ゴールドマンはあまりに上手くやり過ぎたからこうなったのだろうという奇妙な納得感の両方の印象がある。

 ゴールドマンがあまりにも上手くやってきたというのは、サブプライム問題で他の大手金融機関が巨額の損を出す中でゴールドマンは損失が軽かったし(正直なところ、当時は「さすが」と思った)、リーマンショック後の金融危機では、AIGが米政府に救済されてゴールドマンの多額のCDSのポジションが保護され、危機の最中では米政府から公的資金と共に信用を貰い、危機のピークが過ぎると今度は早々に公的資金を返して社員に多額のボーナスを支払う、という立ち回りの上手さを指している。

 儲けた当事者にとっては、FRBのお蔭でファンディング・コストほぼゼロで張ることが出来るポジションで、且つ危機後の分かりやすい戻り相場による儲けでも、儲けたときに報酬を得ておきたいと思う気持ちは分かる。しかし、ゴールドマンの社員連中にとって、物事があまりに都合良くでき過ぎているという印象は拭えない。

 人間は感情の動物であり、嫉妬や公平感は特に強い感情だから、ゴールドマンが粗探しをされやすいのはある程度仕方がないことだ。同社の一連行動は、個々には自社の利益に叶ったビジネス行為の範疇にあるが、総合的に見ると些か「やり過ぎ」であったかも知れない。