会社には、「議論してはいけないこと」がある。
日経新聞(2015年8月16日付)の『日曜に考える』というコーナーに「経済白書に映る戦後経済」という記事が掲載されていた。
「日本の問題は必要な議論ができない雰囲気がうまれてしまうこと。90年代は銀行の不良債権について突っ込んだ議論を避ける空気になり、正しい対応ができなかった」
経済企画庁(現・内閣府)の敏腕エコノミストだった小峰隆夫氏は、90年代のバブル崩壊時の銀行の不良債権問題について、こう振り返っている。
当時、銀行の情報は大蔵省が独占し、議論さえ許されなかったそうで、ある時、経済企画庁内で深刻な金融状況を分析する報告書をまとめようとしたら大蔵省から抗議の電話があり、「もし悪影響が出たらだれが責任を取るのか」と脅されたそうだ。
似たようなことが70年代にもあったという。焦点は、「1ドル=360円」からの切り上げ問題だった。当時の政権は「1ドル=360円からの切り上げは断固阻止」の姿勢だったが、「欠かせない重要なテーマなので書くべきだ」という声が経済企画庁内であがり、草案では若干の言及もした。しかし、「切り上げ容認と思われかねない」という空気に押され、円についての記述はすべて消されたのだという(以上、日本経済新聞『日曜に考える』〈2015年8月16日付〉より)。
これを読んで、「お国は大変だな」と思ったかもしれない。しかしこれは、民間企業でも日々起きている問題で、決して他人事ではない。
商品・サービスの安全性の問題、新技術や市場の変化への対応、新戦略の実施…など、対応が非常に難しい問題はどの会社にもある。では、会社としてどう対処すべきか。論争ばかりもしていられないから、どこかで対応を決め、議論に終止符を打つことになる。
「100%安全です!」「この戦略で進めば未来は明るい!」と宣言した瞬間からは、それに基づいて不満はありつつも前に進む。そして、たとえ状況が悪くなったとしも突っ走り続けることが求められ、疑問をさしはさむこと、疑問の解消に向けてアクションプランをつくること、それらすべてが問題行動として会社組織から糾弾されることになるのだ。