無私とは人間が到達できる最高の境地

 ただし、このYLOOという言葉の解釈は、昔から言われている「いまを生きる」という意味もそうですが、わがままを認めてもらう、好き勝手に生きるという意味じゃありません。

 称賛がそうでなければならないように、充実した人生というのも結果でね、ごほうびにもらえるものなんですよ。これは、自分がもっと重要なことを考えているときに転がり込んでくるものです。山に登るにしても、そこに旗を立てようとして登るんじゃなくて、たいへんなことに挑戦してみたいとか、山頂の空気を吸ってみたいとか、遠くまで広い世界を見渡してみたいとか思って登ったときにね。世の中を見渡すために登るのであって、世の中に見てもらうために登るのではないんです。パリに行くのもパリという街に身を置いてみるためであって、行きたい街のリストからまた一つ街の名前を消すためでも、自分も国際人になったと思っていい気になるためでもないんです。

 自分が満足感を得るためではなく、ほかの人たちのため、残りの68億人の人たちのために、自由で、自分にしかできない、人に左右されない生き方をするのです。そうしたら、きみたちにも、人間の経験の素晴らしい、また、おもしろい真実がわかってくるでしょう、無私というのは人間が自分で到達できる最高の境地なんですね。つまり、人生の最高の瞬間というのは、自分は特別じゃないということがわかったときに初めて訪れるものなんです。

 誰もが特別なのですから。

 おめでとうございます。幸運を祈ります。どうか、きみたちの力で、きみたちのために、また、みんなのために、とびきりいい人生を送ってください。