2012年6月、アメリカ・マサチューセッツ州の有名公立高校の卒業式で、同校のデビッド・マカルー教諭が卒業生たちに「きみたちは特別じゃない」と呼び掛けた祝辞がYouTubeにアップされ、またたく間に世界中に拡散した。本連載ではそのスピーチの全訳を3回に分けて掲載する。高校生から親世代、祖父母世代までの心を動かしたスピーチを動画とともに味わっていただきたい。

きみは特別じゃない

 ウォン先生、キーオ先生、ノボグロスキー先生、カレン先生、教育委員会のみなさん、卒業生のご家族、ご友人のみなさん、2012年のウェルズリーハイスクールの卒業生諸君、こうしてここであいさつをする栄にあずからせていただいたこと、誇らしく思い、感謝いたします。ありがとうございます。

 さ、じゃあやりますか……卒業式……人生の大きな門出の儀式です。(「結婚式はどうした?」なんて言わないでくださいよ。結婚式は一方的で、どれだけ意味があるかね。あれは花嫁中心の見世物でしょ。いろいろと理不尽な要求を飲まされるのを除けば、花婿はただそこに立っているだけです。堂々と、はい、みなさん、ぼくの花婿入場を見てね、ってこともない。

 花嫁のように父親から相手に引き渡されることもない。名字が変わることもない。男どものタキシードの試着を特集したテレビ番組なんて想像できますか? 父親たちはうれしさと信じられない思いで目を潤ませ、兄弟は隅のほうで小さくなって、うらやましそうにぶつくさ言っている。男にまかせていたら、結婚式なんてね、さんざん先延ばしにしたあげく、ほとんどものの弾みで……フットボールのハーフタイムの間に済ませてしまう……冷蔵庫まで飲み物を取りに行くついでにね。そもそも、失敗の確率もあります。統計を見たら、きみたちの半分は離婚するんですよ。あんな勝率じゃ、アメリカンリーグ東地区でビリですよ。ボルティモア・オリオールズだって、結婚よりはうまくやるんじゃないですか。

 でも、今日のこの式……卒業式ね……卒業式はいつでも意味があるんですよ。明日からはね……ほんと……病めるときも、健やかなるときも、お金で失敗をしても、中年の危機を迎えても、シンシナティの展示会でちょっとかわいいコンパニオンを見かけても、もやもやすることが重なってしだいにこらえ性がなくなってきても、いろんなずれやがまんできないことや何かがあっても、もうハイスクールは永遠に過去のものですからね、ハイスクールの生徒としての自分も卒業証書もね、死がきみたちを分かつまで。