「これは深呼吸とは違うぞ」
私のイライラを読み取ったヨーダは静かに言った。「呼吸をコントロールしようとしたり、変えようとする必要はない。いい呼吸も悪い呼吸もない。自然に起きるままにしたらいいんじゃ。とにかく呼吸に細かく注意を向ける。呼吸と呼吸のあいだに、短い切れ目があることには気づいたかな?1回、1回の呼吸の深さが違うことは?吸う息と吐く息の温度の違いもあるな?細かなことに好奇心を持つんじゃ」
なるほど、たしかに呼吸はみんな同じではない。考えてみたことすらなかった。普段何気なくやっていることが、途端に新鮮に感じられる。
が、それも一瞬のことだった。すぐに私の中にはいろいろな考えが浮かんでくる。〈モーメント〉のスタッフたちの表情、伯父の無気力そうな顔、先端脳科学研究室のライバルたち、冷たい板張りの床の上に立つ袈裟姿の父、入院先のベッドで横になっているパジャマ姿の父……。
やはりヨーダは私の心の乱れを見逃さない。
「ほかの考えが浮かんでくるのは自然なことじゃ。浮かんできたら、それに気づくだけでいい。そしてまた呼吸へ注意を戻す。やさしく、ゆっくりとな。呼吸は意識の錨じゃ。風が吹いたり波が荒れようと、錨があれば船はそこから流されん。どんな雑念が心に吹き荒れようとも、呼吸を見失わなければ大丈夫じゃよ」
自分の呼吸音だけが聞こえ、ほかのすべてが静寂に包まれる。
しかし、もう我慢の限界だった。
「先生!で、何のためにこんなことをするんですか?せめて何分やればいいのかくらい教えてください。やり方はもうわかりましたから、次に進みましょう!」
「ふぉふぉ……1分と持たんかったのぅ、ナツ。ここまでひどいとは……いやはや、道のりは厳しいぞ」
そう言うヨーダの表情は、どういうわけか無性にうれしそうだった。