異質集団こそが独創と成長を生む、ただし3つの「共通言語」が不可欠だPhoto by Yoshihisa Wada

日本にはなかったネット生保を60歳で開業したライフネット生命の出口治明会長。金融自由化時代を自ら切り開いてきた創業時の思いや、サービス産業化する社会でのリーダー像などを聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 深澤 献)

歴史をみれば、みんな「運」

――ライフネット生命の準備室ができてから10年、開業からまもなく9周年。創業のきっかけは、谷家衛さん(あすかアセットマネジメントリミッテッド社長)と出会われて、15分ほどで「保険会社をつくりましょう」と勧められ、出口さんも「いいよ」と即決したことでしたね。

出口 僕は55歳で役職定年となり日本生命の実質子会社のビル管理会社に移りました。当時、周囲を見渡すと55歳で子会社に移ってから本社に戻れた人はいませんでした。だから「生命保険との関わりもこれで終わりだろう」と思っていたのですが、しばらくして友人から谷家さんを紹介され、保険の話をしたら「やりましょう」と誘われたのです。

――ライフネット生命につながるビジネスモデルはすでにお持ちだったのですか。

出口 子会社に移ってから、諸先輩方の教えを後輩につなごうと遺書のつもりで『生命保険入門』(岩波書店 2004年)を書いていたのです。そのなかにネット時代の保険業界の成長シナリオや理想的な保険会社のあり方など、ライフネット生命につながる考え方は示しました。日本の生命保険に関する本の中では、かなり内容の濃い本ではないかと思います(笑)。2009年には新版を出しました。

――親子ほど歳の離れた岩瀬大輔社長との出会いは、どのようなものだったのですか。

出口 谷家さんは気の早い人で、初対面で即決したら、「では明日から僕はなにを準備すればいいでしょうか」と尋ねる。

 保険業界のことはもちろん僕の方が詳しいけれど、ただ58歳になっていて、もの忘れも始まっていたので、「保険のことは知らなくてもよいから若い人を探してください」とお願いしました。そうしたら、これまた即答で、「岩瀬というのがいます。今、ハーバードのMBAで勉強中ですが、ブログが面白いので僕が採用しました。帰国するまでに仕事を用意しておくと約束しています。彼でどうですか」と。

 それが岩瀬君との出会いです。「ハーバードで学んでいるぐらいだから、それほど頭は悪くはないだろう」と思って「それでいいです」と答えました。幸い相性もよかったので10年以上も「クリエイティブパートナー」でいられたのだと思います。

――出口さんは連載で、「どんな仕事に出会うかは運だ」と述べていますが、ライフネット生命の創業も運ですか。

出口 歴史を見れば、ほとんど全てが運だと言っても決して過言ではありません。ビジネスでは、「起業は周到な準備をして」と言う人もいますが、歴史を見れば、最大の起業は新しい国をつくることですが、王朝の創始者たちには初めから大王朝をつくろうなどと考えた人はまずいません。きっかけはほとんど全部偶然で、周到な準備など誰もしていません。

 孟子の言葉で言えば、「天の時、地の利、人の和」です。大きな時代の流れがあり、場所を得て、人の力を借りながら歴史は動いていく。ダーウィンの「運と適応」も同じことを言っているんですね。だから僕たちにできることは適応だけです。

――それにしても創業を決意したのが58歳で、開業が60歳。最近は、「人生100歳時代の生き方」という話もありますが、大変な決断だったのではないですか。

出口 「決断」などと大げさに考えるから体が硬直してしまうのです。例えば素敵な人に出会って「連絡先を教えてください」というのと同じだと思いますね。

 人間は動物ですから、次世代に自分のコピーを残したい。そのための最大の決断はパートナー選びです。でも皆さん、パートナーを選ぶときに、詳細なシナリオを用意して決断したりしないでしょう。

 起業や転職も同じで、パートナー選びに比べれば大したことはないのです。そのときの直感でいいんじゃないですか。

同質的価値で生きていたら未来はない

――岩瀬さんと仕事を始められて、還暦間近なおじさまと30歳前の若い人ですから、ギャップを感じたりはしませんでしたか。

出口 その質問には、2つの大きな示唆が込められていると思います。