発足してまだ10日あまりだというのに、米国トランプ大統領の発言に世界が揺れている。特に物議をかもしているのは、「移民」についてのものだろう。メキシコとの国境に築くという「壁」をめぐる問題、「イスラム教徒が多い7ヵ国からの渡航者すべての入国を禁止する」大統領令による混乱……これは、20世紀の話ではない。まさに今、2017年に起こっていることなのだ。
では、「壁」や「入国拒否」によって、移民や(移民の仕業だと主張されることもある)テロの問題は解決するのだろうか。各紙誌で書評が掲載され、話題となっている『シリア難民 人類に突きつけられた21世紀最悪の難問』から、「壁」で苦しむ実際の声と、その解決策を示唆した箇所を紹介しよう。
時は2015年9月、難民危機で揺れるヨーロッパのクロアチア・スロベニア国境でのことだ。
「彼らをコントロールするなんて不可能だ」
クロアチアの北側の国境でも、大混乱が起きていた。運よくトバルニクから列車に乗ってきた人たちは、今度はクロアチアを出国しようとする。ここでハンガリーに入ろうとする人もいれば、西隣のスロベニアを目指す人もいた。私はクロアチア・スロベニア国境にかかる小さな橋で、200人ほどが足止めされているのを見た。後にスロベニアは根負けするのだが、そのときは難民の流入を食い止めようとしていた。だがそれは無駄な努力であることを、その橋で出会った若いシリア人男性があらためて教えてくれた。
たしかにヨーロッパ諸国には、難民の流入を制限する権利があると思う、と彼は言う。しかし、難民の受け入れプロセスを簡素化しなければ、結局、誰もが大変な思いをすると、シリアでソフトウエア開発を手がけていたというその男性は言った。彼は、背後でだんだんといらだちを募らせる人々を指して、「何がいちばんいいか、よく考えることだ」と言った。「彼らの様子を見るといい。彼らをコントロールするなんて不可能だ」
無秩序に難民が流入するのを放置せずに、難民が来るのを止めることはできないのだと早く認めて、ビザを発給して、難民が飛行機で来られるようにするべきだと、彼は考えていた。そうすれば、少なくとも誰が来るのか管理できる。
「なぜこんな旅を私たちに強いるんだ」と彼は問いかける。「きちんと管理すればいいじゃないか。ビザを発給して、飛行機で来られるようにすればいい。そうしないから、人々はただ押し寄せてくるんだ」
パリ同時多発テロ事件が明らかにした「抑止策」の失敗
その2ヵ月後、パリ同時多発テロ事件の実行犯9人のうち2人が、エーゲ海を渡ってヨーロッパに来た難民である疑いが生じたとき、私はすぐにこの男性の言葉を思い出した。少なくとも私には、大規模な第三国定住システムの設置が、これほど緊急かつ必要だと思えたことはなかった。
だが、誰もがそう思ったわけではない。それどころかパリの事件後、難民を完全にシャットアウトするべきだという声が多く聞かれた。アメリカでは31州の知事が、治安上の理由からシリア人の受け入れを拒否すると宣言した。チェコの世論調査では、ヨーロッパにとって難民の脅威はISISの脅威と同レベルだと考える人が、88%にも上ることがわかった。
ポーランドの保守政権は発足早々、同じような恐怖を理由に、前政権が約束したギリシャとイタリアからの難民受け入れを取り消した。スロバキアでは、反移民を掲げるロベルト・フィツォ首相が勝ち誇ったかのように言った。「これで一部の人が目を覚ましてくれることを祈る」
しかし妄想から目を覚ます必要があるのはフィツォのような人間だ。ヨーロッパの孤立主義者たちは、パリ同時多発テロのような爆発が連日起きている地域から逃れてきた人々を保護する道徳的な必要性を感じないかもしれない。しかし彼らも、自分たちが唱える「解決策」の非現実性に気がついてもいい頃だろう。
平たく言うと、国境を封鎖するなどということは不可能なのだ。長年試みられてきたが、難民たちはヨーロッパに来ることをやめなかったし、別のルートを見つけてきた。1990年代、北アフリカのスペイン領に入ってくる移民が増えると、スペインはそのルートを封じるフェンスを立てた。しかし効き目はなかった。そこでスペインは二つ目のフェンスをつくったが、これも役に立たなかった。そこで数年後、第3のフェンスをつくった。それでようやく流入は止まったが、人々は別のルートでヨーロッパに来るようになった。まずリビア経由で、次はトルコ経由で。
だが、政治家はこうした経験から何も学ばなかったようだ。2011年、ギリシャはトルコとの国境にフェンスを建設した。2014年にはブルガリアもトルコ国境にフェンスを立てた。しかし、どちらも時間の無駄だった。2015年には数千人がフェンスを突破してブルガリアに入ってきたし、さらに多くの人たちがエーゲ海経由でギリシャの島々に来た。セルビア・ハンガリー国境のフェンスは最終的には効果を発揮したが、それはそこだけのことで、ヨーロッパにとっては何の解決策にもならなかった。50万人近くの人々が、結局クロアチア経由で入ってきたからだ。
他の抑止策も失敗に終わってきた。ヨーロッパは地中海での救援活動をやめたが、それでも難民は記録的な数でやってきている。リビアの密航業者を取り締まる努力も失敗に終わった。EUはトルコに資金援助を行って国境管理の強化を促したが、依然として難民は毎日数千人のペースでトルコの海岸を出発している。武力でも使わない限り(そうしている自警団がある)、難民の流入を食い止めることはほぼ不可能だ。オーストラリアのように密航船を追い払う政策は、たとえ倫理的に許されるとしても(私はそうは思わないが)、ヨーロッパでは実現不可能だろう。オーストラリアと違って、ボートの出発地は、ヨーロッパの東岸から数キロしか離れていないからだ。
つまりそこには二つの明白な事実がある。第1に、私たちが好むと好まざるとにかかわらず、難民はやってくること。第2に、そうだとすれば、現代ヨーロッパの難民対策は誰のプラスにもならないことだ。もちろんエーゲ海で溺死したり、密航業者のトラックで窒息死したりする難民のプラスにもならないし、断固として現実を認めずに、いたずらに事態を混乱させているヨーロッパ人のプラスにもならない。
ヨーロッパの難民対策を詳細に記録・分析してきたジャーナリストのダニエル・トリリングは、これはヨーロッパ難民危機ではなく、ヨーロッパの国境危機だと、ロンドン・レビュー・オブ・ブックス誌で指摘している。トリリングに言わせれば、難民のヨーロッパ流入は、実のところかなり控えめなものだ(特に中東諸国への流入と比べると)。したがって危機を引き起こしているのは難民の到来ではなく、ヨーロッパの無情かつ愚かな国境管理だというのだ。
私自身は、これは難民保護システムの危機だと思う。国境での大混乱は、ヨーロッパの難民制度のばらつきと機能不全の表れだ。とはいえ、結論はトリリングと同じだ。つまりこれは圧倒的にヨーロッパの問題であって、ヨーロッパの国境を越えてこようとする人々の問題ではない。
では、どのような解決策が可能なのか。難民危機は、すでに起きているものであり、それを緩和することしかできない。たとえ難民の流入を喜ばしく思わなくても、1951年難民条約のような条約がある限り、彼らを門前払いすることはできない。
まずこの現実を認めることが、危機を管理するカギになる。本書『シリア難民 人類に突きつけられた21世紀最悪の難問』の取材過程で、私は何百人もの難民に、なぜ命の危険をおかしてでもヨーロッパに行こうとするのか聞いた。最も多かった答えは、「ほかに選択肢がないから」だった。多くは故郷に帰ることも、中東や北アフリカの国で新しい生活を始めることもできない。だからヨーロッパを目指して失敗しても、失うものは何もないのだ。安全で合法的で現実的な移住方法がなければ、彼らはこれからも水漏れするボートで海を渡り、ヨーロッパ各地の道路を歩き、国境に行列をつくり、英仏海峡トンネルを渡るのをやめないだろう。