権力者よりも“とりまき”が問題
「寵愛レース」を利用して権力維持

 タブーが溜まるだけではない。周囲は権力者の顔色を伺い、その視線の先をつねに注視する。とりまき・側近は、権力者に意見を「奏上」できる数少ない既得権益者として、権力者に「取り次ぐ」という利権を持つようになる。こうした取り巻きたちは、自分で権力の座に就くほどの野心も器量もない。

 権力者には、なるほど崇高な目的があるだろう。その目的を叶えられるようその人を支えることで、その人が高い目標や理想を実現するため、陰に日向に、日々身を粉にして働いてきたのがとりまきたちだった。

 しかし、ひとたび権力者が、所期の目的を遂げ、成長も一段落し、権力の維持や政権の継続に重点を移しはじめると、周囲のとりまきたちは暇になり、誰が一番権力者を支えるにふさわしいか、足の引っ張り合いが始まる。とりまきたちの間で、権力者の「寵愛」を奪い合い対抗する「寵愛レース」が勃発し、権力者の周囲から腐敗、堕落していく。権力者の意向についての揣摩臆測が入り乱れ、怪文書が出回ったりする。

 頭のいい権力者は、権力を次代に渡すことをできるだけ遅らせようとして、この寵愛レースをうまく利用する。たとえば、後継者候補を三人にしぼり、競わせる。自分はその上にあぐらをかいて安泰というわけである。ポイントは誰を後継者に指名するかはいつまでも明確に決定しないことである。もう少し三人の実力のほどを見てから決めたい、などと意思決定をどんどん先送りすればいい。

長期政権が奏功するケースも

 ここまで、長期政権の負の側面を取り上げてきたが、長く同じ人が権力を持っていても、うまくいく場合ももちろんある。

 高い理想を掲げて経営に邁進するオーナー企業などで、社長が権力闘争にエネルギーを費やす必要がない場合が浮かぶ。あるいは、TVの長寿番組のように、看板スターは変わらずとも、細かく中身と出演者を更新し、新陳代謝が盛んな場合もある。また、権力者が「老害」になる前に、実質的な権力を欠いた「象徴」となってくれる場合もある。対外的には「なんとか経営」を提唱する名経営者として、対内的には「組織の紐帯」として機能する場合もあるだろう。

 本来的には、高い理想やビジョンを持ち、優れた結果を実現するための長期政権なのだ。理想やビジョンがない、ただ存続だけが目的の長期政権では誰も幸せになれない。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)