若者の海外旅行離れを憂う、HIS社長の「アウトバウンドで国難突破」論Photo by Yoshihisa Wada

「よほどでない限り企業は再建できる」。自らを企業家であると同時に、再建屋とも称するエイチ・アイ・エスの澤田会長兼社長。連載を終えた澤田会長に、旅への思いや「必ず再建できる」と信じる理由などを聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長 深澤 献)

若いころから旅が好きだった。今でもすぐに旅立ちたいくらい

――今月は、澤田さんに経営の「失敗」と「再建」に絡むお話をしていただきました。澤田さんは、孫さん(正義・ソフトバンクグループ創業者)や南部さん(靖之・パソナグループ創業者)などと共に、若手起業家として注目されてきました。そもそもビジネスに挑む原体験のようなものはあったのですか。

澤田 まったくないです。むしろ商売はやりたくなかったですね。父はお菓子の問屋のような商売をしていたのですが、休みがあるようでなく、景気のいいときもあれば悪いときもあるで、「あんな大変なことはやりたくないな」と思っていました。

 それよりも新しい世界を旅して見て回ることが好きでした。今も、その考えに変わりはなく、譲れるものならば今すぐにでも社長の座を譲って旅を再開したいぐらいなのです。

――そもそもなぜ、それほど旅が好きなのですか。

澤田 未知の世界に足を踏み入れ、新しいものを見てみたいという素朴なものです。僕が幼いときに後に作家となる小田実さんのアメリカ留学記『何でも見てやろう』が1961年に刊行されてベストセラーになりました。その翌年、62年には堀江謙一さんが太平洋単独横断航海に成功しました。

 僕が高校を卒業した頃は高度成長期の真っ最中で、当時の若者たちには「世界」という未知への憧れが充満していました。誰もがザック一つで世界に飛び出していた。いわゆる「バックパッカー」の時代です。

――知らないものへの興味ですか。

澤田 そうです。高校3年生のときに普通電車とバスだけで北海道を一周して「北海道はデカい」と思いましたが、その北海道の隣にはシベリア、ロシア、ヨーロッパへと続くユーラシア大陸がある。「そんな広いところに行かない方がおかしいだろう」という感覚でシベリア鉄道でヨーロッパをめざし、結局、4年半ドイツに留学しながらアフリカや南米、中近東に行ったりしていましたね。

――現代の若者の旅行と比べると、強烈な好奇心と「とりあえず行ってみる!」という前のめり感を感じますね。

澤田 現地に行き、経験することは本で学ぶのとは違います。モロッコに行けばアフリカンイスラムの匂いがあり、スペインに行けばフランスとは違った文化の香りがする。

 世界を回っていると、その国が発展するかどうか、落日かどうか、などが身をもって分かります。例えばドイツからオーストリアを経由して東欧諸国をめざすと、ドイツから離れれば離れるほど駅舎はみすぼらしくなり、町の風景も暗くなります。「これが経済力の差というものか」と実感できる。

 シベリア経由でロシアに入ったときも、当時はまだソビエト連邦で、アメリカと並んだ世界の二大大国と言われていた。なのに、とにかく街が暗くて暗くて。しかもウオッカ飲んで酔っ払ってる人があっちこっちにいて。「これが二大大国の一つなのか」と思っていたら、その後間もなくして、ソビエト連邦は崩壊しました。やっぱり、実際に行ってみると「この国はおかしい」と直感できます。