名簿も何もかも流失したなか、残った2人が生活保護業務をどうにか再開できたのは、発災から9日後の3月20日のことだった。

 まずは避難所名簿やラジオの情報から、生活保護で暮らす人々の安否と所在を確認しなくてはならない。その作業が終わったのは4月半ば。幸い、被災した市庁舎から3月分の保護費の資料が発見され、それをもとに、4月分の保護費を4月27日に支払うことができたが、現金で手渡すことが可能な体制ではなかったので、銀行振込としたそうだ。

 被災した人々は、生活保護であるかどうかとは無関係に、銀行に行ったりATMで預金を引き出したりすることがいまだ困難な時期だった。とはいえ、商店も何もかも被災している状況下では、現金を使う機会は少ない。生活保護の人々は、他の人々と同様に支援物資などで生活していたと考えられている。

 生活保護業務に必要な世帯の記録の一部が復旧されたのは、7月のことだった。定例の保護費支給が可能になったのは、7月以後のことである。4~6月の3ヵ月間は、「保護費を渡す」という業務さえままならなかったようだ。

ケースワーカーを
減らさなかった陸前高田市の判断

やや内陸の高台から見下ろす、陸前高田市の沿岸部。かつてそこに市街地があったとは信じられない風景が広がる

 現在、陸前高田市の保護世帯数は80世帯以下となっている、法が定めるケースワーカー数は1名だ。しかし、陸前高田市のケースワーカーは2名のままだ。

 その背景は、日本の中で「東日本大震災後」がそろそろ終わろうとしていることだ。

 被災地の復旧・復興に関しては、様々な施策が実施されてきている。陸前高田市でも、現在、被災者の医療費や介護サービス料の減免を実施している。しかし、永久に継続できるわけではない。