日本人にとって、電車は時間通りに
来ることが「当たり前」

 そんなこといっても、命には代えられないだろうという声が聞こえそうだ。まったくもって正論である。ただ、その正論がなかなか通じないという厳しい現実もある。

 みなさんも身に覚えがあるだろうが、日本人は電車が時間通りに来るのが当たり前だと思っている。だから、「出張族」も新幹線の発着時間に合わせて仕事のスケジュールを組む。新幹線のダイヤが乱れると、「おかげで大事な商談に間に合わなかっただろ!」なんて激しいクレームの嵐が寄せられるのだ。

「定時運行」はやって当然という状況のなかで、「原因が分からないんですけど、うなり音がするんで点検しますね」という現場の申し出に対して、意思決定者がスムーズにゴーサインを出せるだろうか。

 出せるわけがない、と筆者は思う。

 もちろん、決して安全を軽視しているわけではないだろう。ただ、もし点検をして何ともなかったら、意思決定者は確たる根拠もないのに、新幹線ダイヤを狂わせて、ウン十万人に影響を与えたことの責任を追及されてしまう。そういう組織人としてのリスクに鑑みれば、「停車して異変の原因を探すべし」と判断する材料より、「運行を続けられる」という判断ができる材料の方ばかりに無意識に目が向いてしまうのは人の性だ。

 こういう組織力学は「危機」の現場でよくみられる。たとえば、冷凍食品への農薬混入事件があったアクリフーズでは、消費者から「異臭がする」というクレームがあってから、外部の検査機関に残留農薬の調査を依頼するまで1ヶ月以上かかっており、被害の拡大を招いた。では、その間に何をしていたのかというと、「工場改装時の塗料が紛れたのでは」など、異物混入という最悪のシナリオを否定する材料を必死に探し回っていたのだ。

 つまり、「新幹線が世界に誇る定時運行を、なにをおいても守るべし」という強迫観念にも似た組織内の暗黙のルールが、現場の保守点検担当者や、新幹線総合指令所スタッフの目を曇らせ、重大事故につながりかねない「異変」を見過ごしてしまったのではないか、ということを申し上げたいのである。

 さらに言えば、筆者が「定時運行」こそが「真犯人」だと指摘するのには、もうひとつ理由がある。あまりに度を越した「定時運行」というものは、組織に本来の「目的」を勘違いさせてしまう恐れがあるからだ。