「ほめる技術」の使い方で見抜かれる上司の安易な心

拙著、『知性を磨く』(光文社新書)では、21世紀には、「思想」「ビジョン」「志」「戦略」「戦術」「技術」「人間力」という7つのレベルの知性を垂直統合した人材が、「21世紀の変革リーダー」として活躍することを述べた。この第36回の講義では、「人間力」に焦点を当て、拙著、『人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」』(講談社)において述べたテーマを取り上げよう。

「ほめる技術」のブーム

 いま、書店に行くと、「ほめる技術」をテーマにした本が目につく。また、こうしたテーマの本が、実際、良く売れている。

 たしかに、部下や社員を「ほめる」ことによって、そのモチベーションを高め、仕事への意欲を引き出し、人間関係を良好に保っていきたいと考える上司や経営者の気持ちは、マネジメントの道を歩んできた一人の人間として、理解できる。

 また、「ほめる」ということを、誰にも実行できる「分かり易いスキル」として教えてもらいたいという読者の気持ちも、理解できる。そして、そうした読者の気持ちに応えようとする著者や出版社の意図も、善意なるものであろう。

 たしかに、部下や社員が、上司や経営者から「ほめられる」ことによって、モチベーションが高まり、意欲が湧き上がり、職場の人間関係が円滑に進むことは、しばしばある。

 筆者自身、新入社員の頃、尊敬する上司から自分の仕事をほめられることによって、自信を深め、一人のプロフェッショナルとして成長することができたのも事実である。

 しかし、そうした経験を踏まえても、やはり、この「ほめる技術」が、最近、表層的なスキルやテクニックとしてビジネス社会において広がっていくことには、疑問を感じる。

 もとより、この「ほめる技術」は、我が国にコーチングが導入されてきた時代から、「存在承認(acknowledgement)」という概念とともに、それなりの深みある技法として提唱されてきたのだが、最近は、この「ほめる技術」を、業績を上げるためや、部下を動かすための安易なスキルやテクニックとして使おうとする例が目につく。そして、こうした使い方をするかぎり、マネジメントは、必ず、壁に突き当たる。

 それは、職場において、ある場面を想定してみれば、誰にも分かることであろう。

 例えば、ある職場で、若手のA君のところに、上司のB課長がやってきて、色々とほめてくれたとする。

「昨日の君の営業、お客様も、大変満足してくださったな…」 「君の先日の企画提案書、とても良かったよ…」

 そうした上司の「ほめ言葉」を聞いて、その瞬間、A君は、モチベーションが上がるかもしれない。仕事への意欲が高まるかもしれない。

 しかし、その後、A君がたまたまB課長の机の前を通りかかったとき、課長の机の上に、『業績を上げるための「ほめる技術」』という本が置いてあったならば、A君は、何を感じるだろうか。もしくは、『部下を動かすための「ほめる技術」』という本が置いてあったならば、A君は、どんな気持ちになるだろうか。

 先ほどのB課長の言葉を、素直に受け止める気になるだろうか。