マンションに戻ると、その場に座り込みたいほどに疲れている。
半日で1年分の神経を使った気分だった。そして最後に、理彩との会話だ。
「ああいうのが腕のいい記者というのか」
理沙の言ったことを思い出してみたが、ほとんど当たっている。理沙は記事にするつもりなのだろうか。
いや、何も確証などありはしないのだ。思いつくことを口に出して、相手の反応を見ながら修正していく。想像から真実を拾いあげていくのだ。
携帯電話が鳴っている。ディスプレイを見て切ろうとしたが、思い直して通話ボタンを押した。
〈時間を取らせたから教えてあげる。ジョン・ハンターを見たわよ。知ってるでしょ。ユニバーサルファンドを率いる男よ。そのハンターが今日、日本に来てホテルを借りてるわよ。10部屋単位で〉
それだけ言うと電話は切れた。
ユニバーサルファンドは世界的なヘッジファンドのひとつだ。設立は1985年、従業員50人。運用資産は250億ドル。
日本円にして2兆円を超える。ニューヨーク州コネチカットの高級住宅街に本社をかまえている。
ヘッジファンドは法規制により百人以上の顧客を抱えられないため、10年以上前から新規募集を停止している。
設立者デビッド・アーノルドがハーバード・ビジネススクールでMBAを取得後、ニューヨーク州マンハッタンのマンションの一室で始めた会社が、今では世界最大級のファンドとなった。
彼は謎の人物で、すでに引退してどこに住んでいるかも分からない。
現在はジョン・ハンターが率い、彼の報酬は昨年で2億ドルを超えると言われている。
1997年のアジア通貨危機ではタイバーツやマレーシアリンギットなど、アジア各国の通貨を猛烈に空売りし、10億ドルの収益をあげた。
ギリシャ危機に際しては、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)の値上がりを見込んで大量買い付けを行なった。
半年後に高値になった時点で売り抜け、40パーセントの利益、4億ドルを手にしている。
窓際に行ってカーテンの隙間から覗くと、向かいのコーヒーショップが見えた。
理沙が森嶋のほうを見て手を振っている。
森嶋は慌てて窓際から離れた。
「ジョン・ハンターか」
森嶋は呟いた。
「ヘッジファンドが乗り出してきます」
ハドソン国務長官の言葉だ。
そうなれば――。ホワイトハウスからのレポート通りの筋書きが進むのだろうか。
携帯電話のメモリーを出して、時計に目を移した。ワシントンは午前4時半だ。ロバートの顔が浮かんだ。ボタンを押しかけた手を止めた。
携帯電話をデスクに置いて、もう一度カーテンの隙間から覗いてみた。
理沙の姿は消えていた。