自分が「鬱」であることに気付く。

田中 最初とても上手くいったものだから、成績が落ちてくると手を抜いていない?とかこの会社に入った以上はプログラムの勉強しないとダメでしょうという声が聞こえてくるようになった。5年目くらいで行き詰ってしまって、今思えば明らかに鬱状態だったのですが、それゆえに自分にすごく自信がなく会社に残ってしまいました。
 結局10年もいることになったんですが、気分が沈む状態は一向によくなりませんでした。それで自分でいろいろ調べてみたらどうやら鬱らしい、ということにようやく気付いたんです。

サラリーマンとマンガ家を兼業する男――田中圭一の場合。【前編】竹熊健太郎(たけくま・けんたろう)
1960年、東京生まれ。編集家・フリーライター
多摩美術大学非常勤講師。高校時代に作ったミニコミ(同人誌)がきっかけで、1980年からフリーランスに。1989年に小学館ビッグコミックスピリッツで相原コージと連載した『サルまん・サルでも描けるまんが教室』が代表作になる。以後、マンガ原作・ライター業を経て、2008年に京都精華大学マンガ学部の専任教授となり、これが生涯唯一の「就職」になるが、2015年に退職。同年、電脳マヴォ合同会社を立ち上げ、代表社員になる。4月に『フリーランス、40歳の壁――自由業者は、どうして40歳から仕事が減るのか?』を上梓。

竹熊 なるほど。僕は鬱になる最後の引き金を引くのは環境だと思うんですよ。自分の精神状態とかあるけれど、決定的な要因はやっぱり環境なのではないかと。

田中 同感です。環境の要因はものすごく大きい。あのときは会社のお局さんの横の席にされ、仕事も振られない。辞めてくれと会社に言われているような状況でした。でも当時は鬱もあってか、とにかく自分に仕事がなく転職も上手くいくはずないと思い込んでいたんですね。でもとうとう「あと半年で辞めてくれないか」と社長に言われることになりました。僕は最初の会社の頃には何の問題もなく仕事も出来ていたし、こんなにダメな会社員じゃないはずだと思って、当時の出版関係の仕事をしている友人に何でもいいから仕事ができないかと持ち掛けたんです。

竹熊 なるほど。

田中 そこで電子書籍のマンガ雑誌を作ろうという話がちょうどあって、転職することになりました。転職した5社目の会社には営業系の人が多くいて、陽気な雰囲気でした。昔働いていた最初の会社を思い出すようで、自分はこういう職場が向いているんだと改めて気づきました。

竹熊 その5社目への転職のときに「うつヌケ」した感じなのでしょうか。

田中 そうですね。4社目の会社にもういられないと通告されたときに、カウンセリングに通い始めた感じです。そこで、1冊の本に出会ったんですよ。自分が鬱になってしまった精神科医の方の手記なのですが、これが本当によく分かったし対処法も効いた。それのおかげで転職もできたようなところがあります。それで5社目も移った最初は、やはりものすごく上手くいったんです。いろんなマンガ家さんに僕からお声掛けして参加してもらってキャンペーンを大成功させることができた。
 でもある程度、月日が経つとまた僕の企画がことごとく突き返されるようになったんです。「なんか前の会社でされたことに似ているな……」と思って友人に相談したんです。そしたら「田中さん、それは当たり前だよ。マンガ家をやりながら会社員をしてる人を同僚がどう見ているか分かっていないの?」と言われたんです。ようは例えば「ケーキ屋ケンちゃん」の主役を演じている子どもが学校に転校してきたとき、女の子は「スゴーい!」ってなるけど周りの男の子は面白くねえなぁと思うでしょう、と。特に5社目での仕事は電子マンガ雑誌をつくる際に、僕のマンガ家コネクションを使うことができた。それはマンガ家でしかできないことだったので、周りの上司や同僚は面白くなかったのかもしれない。それで次の仕事からは途端に企画への対応が厳しくなった。僕はそこで「人は嫉妬する生き物」なんだと気付いたんです。

竹熊 会社員とマンガ家兼業を30年やってきて、そこで初めて気付いたんですね。

田中 僕は上手くいっている人をみて「羨ましいな」とは思うけど、それを潰してやろうとは思ったことがなくて。だからその感情がなかなか理解できなかった。でも、そのタイミングで竹熊さんから京都精華大学でのお話を頂けたのは渡りに舟でした。そこではマンガ家さんしかいないから今までの「嫉妬」みたいなものが生まれようがない、という思いもありました。

竹熊 いや僕の方こそ一年間、田中さんに助けられたんです。事務仕事を手伝って頂けたのと、そのときが僕の方が精神的に参ってしまっていたから。

田中 いえいえ、僕の方こそ。それで竹熊さんのお手伝いをさせて頂いているなかで、会社で僕の企画を全部突き返してきた上司二人が抜けて、新しい女性の方が入ったんです。女性だからなのか、その方は悪意も嫉妬もなく理解を示してくれて仕事も上手く回り始めてきたんです。僕はマンガ家というのをあまたある職業の一つだと思っていたけれど、世間からクリエイターや芸能人だと思われていることにようやく気付いたんです。お金持っているんだろう、とか。マンガ家であることを隠していた最初の会社の時代にはそういう突っかかってくる人がいなかったこともそういうことなんだな、と後になって気付きました。

(後編に続く)

※この取材は2015年7月におこなれました