伊勢志摩サミットの
直前に熊本地震が発生

伊藤:でもその後、4月に入って熊本に大きな地震があったんです。

Yumi:そうでした。かなり大きい地震が日にちを置いて2回起こったんですよね。

伊藤:はい、それで、ちかけん側の人たちが、会場に来られないんじゃないか、工場も被災したとかって情報が飛び交ったんです。それで僕は、書家なんですけど、三重で制作チームの人たちと、竹の伐採から始めて、イチからオブジェを作ることにになって…(笑)

Yumi:ええ~!竹の伐採から…(笑)ちなみに…工作は得意でしたか?

伊藤:はい、僕のおじいさんが大工だったので、モノづくりは得意な方だと思います。

Yumi:それは良かった!(笑)それで、コラボレーションをしてどんな作品になったんですか?

伊藤:竹のオブジェに明かりを灯して、そこに、「和」「輪」「環」と“わ”を3つ書いたものを組み合わせました。

伊藤潤一さん対談【4】総理夫人と初めて会った数時間後、伊勢志摩サミットの大役が決まった理由

すべてのタイミングが
繋がって起きた

伊藤:これが、各国のファーストレディが、食事をされる会場に展示して、日本を感じてもらおう、というような演出です。

Yumi:わ~、すごく綺麗ですね。昭恵夫人も喜んだんではないでしょうか?当日はごあいさつされたんですか?

伊藤:ぼくらの制作チームが用意していたところに、総理と一緒に見にきてくれて、あいさつはしました。

伊藤潤一さん対談【4】総理夫人と初めて会った数時間後、伊勢志摩サミットの大役が決まった理由

伊藤:イタリアに行って言葉が通じないところで、何か書きとめたいと思って、本を書いた。それが、たまたま翌年に、地元である三重でサミットの開催があったことで、昭恵さんに本を渡した数時間後に、参加できるようになった……と、偶然と予想外のことが起こって、あっという間にやってきて去っていった感覚ですね。

Yumi:三重県人として関われたのは良かったですよね。

伊藤:はい、ほかにはいなかったので、三重県知事に「三重県の人が参加してくれて良かった」って喜ばれました(笑)

(続く)

伊藤潤一さん対談【4】総理夫人と初めて会った数時間後、伊勢志摩サミットの大役が決まった理由伊藤潤一
1986年生まれ、三重県出身。2007年3月、一人の書家との出逢いをきっかけに、筆と墨を使った表現活動を始める。ストリート時代を経て、現在では創作活動をはじめ、他ジャンルとのコラボレーション、ライブパフォーマンス、トークライブ、個展などカタチに捉われないスタイルで活動を展開。2013年からは活動の舞台を海外にも広げ、フランス、イタリア、スイス、NY、台湾などでも実績があり、中でも台湾では世界三大博物館のひとつ「國立故宮博物院」より、日本人で初めて国際正会員として認定される。2015年開催のイタリア・ミラノ国際博覧会へも参加、2016年には伊勢志摩サミットでの演出も手掛ける。2017年、F1日本GP公式タイトルロゴデザイン担当。和の精神、日本文化の探求を軸に、寺社仏閣への奉納を通し、世界に日本文化と思想を発信している。著書に『路上から世界へ』(リーブル出版)