製造科学の研究を通じてケイパビリティを培う
これまでアメリカでは、政府資金による基礎研究と応用研究がイノベーションの基盤を充実させるうえで大きな一助となってきた。
連邦政府は20世紀、NSF(国立科学財団)、NIH(国立衛生研究所)、農務省、国防総省および同省のDARPA(国防高等研究計画局)などの機関を介して、科学、技術、教育に莫大な投資を行った。これが下地となって、インターネット、EDA(コンピュータによる自動設計)、先進的なコンピュータ・グラフィックス、農業の爆発的な生産性向上、遺伝学に基づく新薬の革命的発見などが実現した。
政府はまた、重要な製造技術の開発資金を提供するうえでも大きな役割を果たしてきた。今日では、最先端のジェット・エンジンは極度の熱や圧力の下でも機能するよう、きわめて特殊な金属やセラミックスでつくられているが、これらの素材は製造が大変難しい。
製造プロセスを支える科学の大半は、60年代、政府資金による冶金分野の基礎研究から生まれた。ところがここ20年ほど、冶金をはじめプロセス関連科学の研究にはほとんど資金援助がなされていない。
大統領の科学技術諮問委員会は先頃、連邦政府に「先端製造分野の施策」を設けるよう提言した。それは、ロボット工学、超微細エレクトロニクス、素材、バイオマニュファクチャリングなどの基礎研究と応用研究に年間5億ドルを投資し、やがてはこの金額を10億ドルにまで引き上げるという内容である。
これが実現すれば、製造と関わりの深い科学研究における資金不足の打開に向けて、頼もしい第一歩となろう。また10億ドルに増えたとしても、政府の年間総R&D予算1430億ドル、NIHの予算310億ドルと比べるとけっして大きな金額ではない(言うまでもなく、予算をめぐる昨今の環境を考えると、諮問委員会の提言が採用される可能性は低い)。
民間部門のR&Dが最も高い成果を上げるのは、概して自社の対象市場、顧客、製造プロセスに直接関係する課題に重点を置いた場合である。このような分野の解決策を導き出すには、政府機関にはないビジネス上の卓見が求められる。
ただし民間企業は、基礎研究ならびに応用研究への投資には適していない。仮に投資からリターンが得られるにしても、それはあまりに遠い将来であり、さまざまな領域に分散しすぎている。政府が主導権を握らない限り、アメリカのものづくりが復権することはないだろう。
国内製造に適した環境を整備する
紙幅の都合から、税制や法規制の詳しい解説はここでは控えるが、高い法人税率、複雑でたえず変更される法規制が国内製造への投資意欲を削ぐことは明らかである。これらの面で基本条件をクリアしたとしても、それ以外では、政府が国内製造を奨励するうえで何より重要なのが人材育成の支援ではなかろうか。
我々は、大勢の企業幹部から「アメリカ国内での製造を拡充したいのはやまやまですよ。ですが、それ相応の技術スキルの持ち主が見つからないのです」という嘆きを、耳にタコができるほど聞かされてきた。工具や金型の職人、メインテナンス技術者、コンピュータ制御の最新機器を扱えるオペレーター、熟練溶接工、さらには生産技術者まで不足しているという。
このような人材が不足している原因は、容易に想像がつく。工場の閉鎖や縮小を受けて、先の分野の人材は、多くの場合、別の職種に移ったり引退したりしてきた。若者は、今後はこれら分野の働き口は減るだろうと見越して、他の分野へ進んだ。地域の人材育成機関や職業専門学校も、学生が集まらないため、技術スキルを養うプログラムを縮小した。
政策当局者は、製造を「高等教育や高水準の訓練を受けていない人材が進む分野」と考えがちである。この結果、アメリカは、たとえばドイツとは異なり、モノづくりに必要な専門技能の育成にほとんど投資していない。このままではいけない。
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グローバル経済では、知識とケイパビリティが成長の原動力であり、競争優位は経営者と政策当局者双方の努力によって具体化する。「アメリカをはじめ先進国はモノづくりを得意としないはずである」といった見方には、理論的な裏づけもなければ、経験的証拠もない。有害な迷信にほかならない。
アメリカは何十年にもわたり、「わが国は脱工業化の経済でも生き延びられる」という仮説を検証してきた。企業リーダーと政策当局者はいますぐこの実験をやめなければいけない。手遅れになる前に――。