「あと5年で改革できなければ手遅れになる」。法人化した農業経営者でつくる日本農業法人協会の幹部は危機感をあらわにする。
実際に、平成の時代に日本の耕地面積は16%減り、農業総産出額も19%縮小した(1990年比)。
深刻なのは、国産農産物のニーズの高まりに対応する体力が失われていることだ。
中食や外食が国産志向を強めても日本の農家がそれに応えられず、2018年は牛肉などの食肉の輸入が過去最多(209万トン)、生鮮野菜の輸入は13年ぶりの高水準(95万トン)となってしまった。
一方で、国内の農業総産出額は近年、増加に転じているのだが、これは品薄で価格が上がっているためで、耕地面積と農業就業人口は減少が続いている。
本誌が選ぶ「モデル農家」の常連である茨城県のワールドファームは冷凍食品原料の野菜を大増産し、輸入野菜を国産に置き換えて、「儲かる農業」を実践しているが、残念ながら、こうした農業法人は一部にすぎず、日本全体として輸入を減らすことはできていない。
「自由化」牛肉は成長 「守った」コメは衰退
矛盾だらけの農政
平成は、91年の牛肉とオレンジの自由化から始まる貿易自由化の時代でもあった。
JAグループなどは貿易自由化が農業の足腰を弱らせたかのように喧伝しているが、それは一面的な見方だ。
30年間の品目別の産出額の変化を見ると、日本がTPP(環太平洋経済連携協定)交渉でも守り抜いたコメ、サトウキビ、ムギは産出額が減り、逆に91年以降、段階的に関税が引き下げられた牛肉は産出額が増えている。
このような事態を招いた要因は大きく二つある。
一つは農政の失敗だ。中でも最大の失敗は、コメ政策の迷走で、農家の競争力を奪ったことだ。
迷走とは、支援をプロ農家に重点化する政策にシフトしようとして結局、農家に補助金をばらまく政策に戻ってしまったこと。それと、国が主導する生産調整(減反)を廃止し、交付金で農家の所得を安定させる政策へのシフトが不首尾に終わったことだ。
減反廃止後も、国は毎年3000億円以上の補助金を投じて飼料用米などの転作作物に生産を誘導。その結果、米価は上がったが、コメの消費量は減り、国際的な価格競争力も下がった。コメの輸出が大幅な目標未達になっているのは米価の高値誘導のせいなのだ。
農政に並ぶ衰退の要因は、「生かさず殺さず」の戦後のレガシーシステムが温存されてきたことだ。
このシステムは連合国軍総司令部(GHQ)が主導した農地改革で突然、経営者になった小作人(地主に農地の賃料を払い農作業をしていた人)が農業経営を続けられるようにすることが前提となっている。
システムの中核はJAグループだ。農家は農産物を作って農協に出荷すれば必ず換金できる。農協がJA全農を通じて卸売市場で農産物を売ると、卸はモノが余っていても買い取りを拒否することができない。
一見、農家に優しい制度に思えるが、この仕組みによって、マーケットインの発想が農家から失われた。
農協も農産物を卸に売れば一応の役割は果たしたことになるし、そもそも買い取りではなくリスクを負わない委託販売なので1円でも高く売る努力をしなかった。
レガシーシステムの無責任構造は、全農による農薬や農機の販売にも見られる。農家のためにメーカーに値下げをさせたり、中間業者を省いたりといった努力が足りず、コメ生産に使う肥料、農薬、種子のコスト(13年現在)の合計は米国の5.3倍に上った(マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社「日本における農業の発展、生産性改善に向けて」より)。
JAグループは日米の農業の競争力の差を経営規模のせいにしているが、日本の肥料、農薬が高いことにはほとんど触れていない。