ウラジーミル・プーチン氏がロシアで権力の座に就いて20年になる。1999年8月9日、病に苦しんでいたボリス・エリツィン大統領(当時)は、ほとんど無名の旧ソ連国家保安委員会(KGB)元諜報員を17カ月間で4人目の首相に選び、自らの後継者に指名した。プーチン氏についてエリツィン氏は、2000年の大統領選挙で当選すれば、ロシアの改革を確実に進めるだろうと強調した。プーチン氏が大統領もしくは首相だった過去20年間、米国では4人の大統領が誕生し、世界では数え切れないほどの指導者が現れては消えた。プーチン氏は権力を握ってからの数年は改革を推進したが、その後、次第に独裁的色彩を強めていった。その一方で、ロシアの経済力低下にもかかわらず、国際舞台での同国の役割を再び際立たせる上で、見事な手腕を見せた。ロシアは国内総生産(GDP)がイタリア以下となり、人口が減少し、インフラ設備が老朽化し、国家予算の化石燃料輸出収入への依存度が60%に達している。こうした制約にもかかわらず、ロシアは世界の「重役会議」に再び席を確保し、欧米諸国の内政、外交両面に影響を及ぼす存在として再び台頭している。プーチン氏は、いかにしてそれを成し遂げたのだろうか。
【寄稿】プーチン氏が世界で証明した柔道の強さ
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