ホンダの死闘#3Photo:Bloomberg/gettyimages

自動車ユーザーの間で「ホンダに面白い商品がなくなった」「ホンダのトヨタ化が加速している」と言われるようになって久しい。シビック、オデッセイ――。幾度となくホンダの経営危機を救ってきた尖ったクルマはなぜ消えてしまったのか。ホンダの四輪事業の病巣はどこにあるのか。特集「ホンダの死闘 四輪赤字」(全6回)の♯3では、ホンダの四輪危機の正体を解き明かす。(ダイヤモンド編集部 浅島亮子)

ホンダ四輪開発のオリジン
象徴的な“部屋”が消えた

 この4月、栃木県にある本田技術研究所のオートモービルセンターから、ホンダの四輪開発の歴史を紡いできた「部屋」が消えた。

 LPL(ラージ・プロジェクト・リーダー)室の看板が降ろされたのだ。ホンダのLPLの役割はさまざまだが、何と言っても花形LPLは、新車開発を主導する開発責任者である。競合メーカーでいうチーフエンジニアのような存在だ。

 かつてのヒット車種を開発した名物LPLには奇人変人も多く、「LPL室は“人間動物園”のようなもの」(LPL経験者)と表現されたこともあったぐらいだ。

 一般的に言えば、新車を開発するには期間は5年程度を要し、1000人以上のエンジニアがプロジェクトに参加すると言われている。