特集「熱狂!ラグビー ビジネス・人脈・W杯」(全10回)の第8回は、デジタルハーツホールディングスの社長で、ローソンなどでも社長を務めた玉塚元一氏を直撃。経歴は華麗だが、その気持ちの強さの原点は慶應義塾大学ラグビー部時代の「地獄の山中湖」にある。(「週刊ダイヤモンド」2019年8月31日号を基に再編集。肩書や数字などは当時のもの)
――慶應義塾大学ラグビー部では大学選手権で準優勝されています。
練習は大変厳しかったです。推薦制度がなかったので、推薦で選手をそろえた明治大学や早稲田大学に勝つには、付属高校出身組と外部からの受験組を徹底的に鍛えるしかありませんでした。
――特に夏合宿は想像を絶する厳しさで有名です。
いわゆる「地獄の山中湖」です。本当にものすごい練習量で、何度もぶっ倒れました。ただセンスはなかったのですが、持久力があり、最後は立っていられた。それでレギュラーになれました。おかげさまで、僕らみたいな弱小選手でも明治にも早稲田にも勝てましたが、卒業後はビジネスの世界で頑張ろうと考え、旭硝子に就職しました。
――慶應ラグビー部の就職先は総合商社や金融が多い中で、珍しい選択です。
僕はそれがもったいないと思っていました。稀有な体験をしてきたのだから、違う企業に行って、そこでリーダーシップを発揮した方がいいと思うわけです。旭硝子では、最初は千葉工場でヘルメットをかぶり、安全靴を履いて3交代勤務。現場で泥まみれになるところからキャリアを始められたことに、今でも感謝をしています。
――キャリアプランについては、どう考えていましたか?
海外に行きたいという以外は、考えていません。4年目にシンガポールに行かせてもらい、旭硝子を辞めた後は、たまたま柳井さんにお会いしてユニクロに飛び込みました。目の前の仕事に向き合うことだけに集中した結果で、あとは運命だと思っています。