熱狂!ラグビー ビジネス・人脈・W杯第6回
Photo by Kuninobu Akutsu

1980年代、90年代前半の日本のラグビー人気は、早明戦を頂点とした大学ラグビーが牽引した。特集「熱狂!ラグビー ビジネス・人脈・W杯」(全10回)の第6回は、90年度に早稲田大学と明治大学のラグビー部の主将を務めた堀越正己氏と吉田義人氏の対談。国立競技場を超満員にした早明戦の思い出から、95年のW杯でニュージーランドに145失点した屈辱まで赤裸々に語ってもらった。(「週刊ダイヤモンド」2019年8月31日号を基に再編集。肩書や数字などは当時のもの)

――ラグビー人気がピークのころ、早明戦はなぜあんなに多くの人の注目を集めたのでしょうか。

吉田義人
よしだ・よしひと/1987年明治大学に入学。1年生時からレギュラー。4年生時キャプテン。2年生時より日本代表。明治大学ラグビー部監督など歴任。現在日本スポーツ教育アカデミー理事長。 Photo by K.A.

吉田義人(以下、吉田) 1987年に明治大学に入学したのですが、毎年12月の第1週日曜日の早明戦は東京の国立競技場で、常に超満員の観客を集めていました。私は秋田県で生まれ育ち、関東の大学ラグビーの盛り上がりというのをまったく知りませんでした。明治に入って、びっくりしました。報道陣の数が試合の1週間前から多くなって、スポーツ紙を広げると、毎日早明戦が報道されていました。

堀越正己(以下、堀越) 私も大学ラグビーがなんたるかは知らないで入学しました。早稲田大学、明治お互いの大学にスター選手がいて両校の大学生、OB、OGたちが熱心に応援をしてくれていた上に、マスコミがさらに拍車を掛けていましたね。両チームの力も拮抗していました。

 他の試合で勝ったり負けたりしていても、明治は早明戦になると違うと僕らはずっと言われ続けていましたし、振り返れば実際、そうでした。満員の競技場のグラウンドに入ったときの怒号のような声はやはりしびれましたね。

――当時、六大学野球よりも明らかに人気がありましたね。

堀越正己
ほりこし・まさみ/1987年早稲田大学に入学。1年生時からレギュラーとして活躍。4年生時キャプテン。2年生時に日本代表。卒業後、神戸製鋼所入社、日本選手権7連覇に貢献。99年立正大学監督。 Photo by K.A.

堀越 明治のファンがいつも競技場の7割くらいを占めていました。ファンの多くが明治の白と紫のジャージーのレプリカを着ていて、目立ちました。一方、早稲田のえんじ色と黒はあまり目立たない。だから、われわれはいつもアウェーだなと感じながら競技場に入っていきました。

吉田 早稲田と明治のプレースタイルは対照的です。明治の北島忠治元監督は、元々相撲の出身で、小兵だけど押し相撲しかしなかったそうです。要は、細かい技を使わないスタイルです。だから、北島監督がラグビーを指導する上でも、真っすぐ突っ込ませ、真っすぐ戦わせるという方法で“前へ”というのを確立させた。

 早稲田は大西鐡之祐先生の接近・展開・連続。要はボールをみんなでパスしながら、相手に迫って、瞬時に判断して、独創的なプレーをしていく。縦の明治、横の早稲田という対照に、面白さを見いだした方たちがたくさんいたのだと思います。